■文章読本と日本語の文法:日本語を使いこなすマニュアルについて

1 文法書の代替物だった「文章読本」

日本語を使いこなすために、日本語の場合、文法が使われてきませんでした。日本語の文法の場合、日本語自体の変容がかなりあったため、簡単に体系化ができなかったようです。日本語の文法を体系づける必要があります。これからの課題でしょう。

この点、英語の場合とは違います。英文法の歴史についてご興味ある方は、渡部昇一『英文法を知ってますか』をご覧ください。17世紀の後半にいまに続く英文法体系の基礎ができあがり、18世紀に入ると、その文法が文章を書くときの指針になっていきます。

英文法のような体系だった文法がない日本語の場合、その代替にしたのは「文章読本」でした。谷崎潤一郎のもの以降、何人かの作家たちが『文章読本』を書いています。どう文章を書いたらよいかというとき、しばしば「文章読本」が勧められてきました。

 

2 規則でなくて直感を重視

日本語を使いこなすときに、文章読本を読んで役に立った人もいたはずです。したがって、こうした本自体を否定する必要はありませんし、わたしも読みました。ただし書くのに何か役立ったのかと言われると、少なくとも自分の場合、役に立っていません。

こうした文章読本の基礎になったのが谷崎潤一郎の『文章読本』です。昭和9年(1934年)に出された本ですが、いまも容易に入手できます。この本での特徴の一つは、文法の否定的な評価でした。その代わりに、感覚を磨く必要があると主張されています。

まだ文法が確立していない時期ですから、英語を書くときのように、英文法を指針にすることはできません。こうした事情について渡部昇一は、1983年刊行の『英語の歴史』で、シェークスピアの英語を論じながら日本語についても語っています。

▼作家を規制する文章規範は、文法書にある規則でなくて直感であった。作家は自由に感じていたのである。溢れるほどの活力と、感じられないほど弱い文法の制約―これがエリザベス朝英語の特質である。この英語の発達段階を見ると、現代の日本語はShakespeare の頃の英語に当たるのではないかという印象を受ける

 

3 対象とすべきは学術的な文章・ビジネスで使う文章

日本語の文章が活力をもっていたとき、その基礎に置かれていたのは、文法書にある規則ではなく、感覚でした。その活力が基礎になって、おおぜいの人が記す日本語の共通基盤が形成されていきます。それが20世紀後半におこったということでしょう。

1980年代にワープロ専用機が普及し、その後、パソコンのパープロソフトが利用されていきます。おおぜいの人が文章を書きだしたとき、いっきに日本語の一番大切なものが浮かび上がってくることになりました。もはや「文章読本」の時代ではありません。

谷崎は『文章読本』の対象とする文章を[この読本で取り扱うのは、専門の学術的な文章でなく、我等が日常眼に触れるところの、一般的、実用的な文章であります]と言いました。ビジネスで使う文章は対象とされていません。感覚が大切だった時代のものです。

今後は学術的な文章、ビジネスで使う文章についての指針が求められることになります。これらを記述する人に向けて、日本語を使いこなすマニュアルが作られなくてはなりません。それに応えるのは「文章読本」ではなく、日本語文法の本だということです。

 

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