■大学者の基準:金森久雄『大経済学者に学べ』を参考に

1 わかったと感じさせる文書スタイル

ビジネスにかかわるリーダーの場合、上がってきた情報に対して、ある種のスタイルを求める傾向がある。結論はどうなるのか。その理由をあげてほしい。その結果どうなるかの展望を示してほしい。こうした形式のとき、わかったと納得することが多いように思う。

「一言で言うと、どうなのか」というのも同じだろう。別にビジネスのリーダーに限らないだろうが、この人たちは特別そういうところがある。難しいねえと言われたら、少なくともこの形式で書いてほしいということだと、ひとまず思ってみることが必要だろう。

自分がよくわかっていることなら、こうした簡潔な形式にできる実質を持っているはずである。たまたまA4一枚の文書をチェックすることになって、改めて思ったことがあった。簡潔な形式の文書の場合、テーマ選びが圧倒的に重要だということである。

 

2 大経済学者の条件

私たちの作るビジネス文書に限らず、優れた学問にはある種の形式が備わっているのかもしれない。金森久雄の『大経済学者に学べ』についた帯に[片々たる小経済学では日本は救えない!]とある。では、大経済学とはどんなものか。金森久雄は言う。

▼「大経済学」とはビジョンとツールとが結合したものである。(中略)
ビジョンとは社会状態の基本的な特徴についての洞察であり、ツールとはそのビジョンを具体的な理論に作り上げる用具である。 P.3 『大経済学者に学べ』

金森の基準は明確である。この考えは、シュンペーターの考えに基づく。さらに、[大経済学者は優れたビジョンをもっており、その主要著作の冒頭で堂々とそのビジョンを宣言していることが多い](P.3)と記して、いくつかの具体的な事例をあげている。

▼アダム・スミスは『諸国民の富』の冒頭で「あらゆる国民の年々の労働は、その国民が年々に消費する一切の生活必需品や便益品を本源的に供給する資源(fund)」であると述べたが、この言葉は、労働が富の根源であるという産業資本主義幕開けの宣言であり、大経済学者スミスが示したビジョンであると言ってよい。 P.4『大経済学者に学べ』

自分の考えのエッセンスはこうである…と示すことがビジョンになっている。ここからその人の経済学がスタートすることになる。理論化するために必要となるのがツールである。自分で案出するものと、既存のものからの選択により、さまざまな方法が使われる。

 

3 ケインズ経済学のエッセンス

金森久雄はケインズの例を示している。この簡潔な一筆書きによって、ケインズの理論のエッセンスがどんなものであるのかを、わかった気にさせてくれる。ケインズの経済観というのはどういうモノであったのか。古典派の経済学を否定することから始まる。

▼初めに古典派の公準として、「1 賃金は労働の限界生産物に等しい、2 賃金の効用はその雇用量の限界不効用に等しい」という二つを挙げ、このうち第2の公準を否定することによって議論を展開している。 PP..4-5 『大経済学者に学べ』

これだけでは難しいのだが、[第2の公準は、失業は賃金が低いため労働者が働こうとしないことから発生する]ということである。[働きたくても仕事がないという非自発的失業は存在しない]という前提に立っている。こんなはずはないと、ケインズは否定する。

ケインズは[需要不足のために働く場所がない]という非自発的失業が、1930年代[時の資本主義世界の最大問題であると喝破して、需要拡大による失業の解決に取り組んだ]。こうした金森久雄の説明は、わかりやすい。この人は、きわめて頭がよいのだろう。

 

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