■森口親司「随想『評伝 小室直樹』が問いかけるもの」を参考にして

1 難しいという指摘にギャフンと参る

新型コロナの影響で、あまり人にお会いすることがなくなってきました。先日、仕事のことで、どうしても直接話さないと心配だったことがありましたので、会社の役員の方とお会いしたのですが、いささか参りました。それで、こんな講演風の話をします。

会社の役員ともなると、あなたに関心がありますよ…という態度でお話をしてくださるものですから、ご苦労様ですという気になります。今回も、お会いした時に、ブログをお読みくださっているとのことでした。しかし今回、恐縮しつつ、参ったと思ったのです。

今年に入って、ブログが少しむずかしくなっていますね…というような言い方だったと思います。わかりにくいとはおっしゃらないのです。難しくなったという言い方ではありましたが、お前の文章は、わかりにくい…という意味だろうと思いました。

小室直樹について書いたものですかと確認したら、そうだということでした。ドラッカーの話も、当然わかりにくかったはずです。あとでそれらを読み返してみると、たしかに、わかりにくいなあと思いました。もっと言うことがあったのに、どうも、いけません。

 

2 小室の評価は虚像だと森口親司は言う

小室直樹のことを書いたとき、『評伝 小室直樹』を参考にしていました。厚い2冊本ですから、読むのに苦労するかもしれませんが、興味がある人には、面白いはずです。そのとき自分で思っていたことも少し書きくわえました。どうもこれが中途半端でした。

それで、森口親司(もりぐち・ちかし)の「随想『評伝 小室直樹』が問いかけるもの」を読み返してみました。『評伝 小室直樹』にも登場する、心優しき小室の友達です。これがおもしろいのです。親しかった人だけに、なかなか厳しい評価になっています。

▼小室直樹については、けた外れの人物としてのエピソードがもっぱら語られている。エピソードの多くは奇行の伝聞であり、肥大していった話が、小室自身のself-dramatization癖によってさらに拡散され、小室直樹の虚像ができあがっている。 (経済セミナー 2019年4・5月号)

小室についての評価は、虚像ではないかというのです。MITの院生でありながらハーバードに潜り込んで、社会学をT・パーソンズ、心理学をB・F・スキナーから学んだというのは、事実に反しているとお書きになっています。では、実際はどうだったのでしょう?

小室の経済学と関連諸科学の知識のほとんどは、留学前に既に獲得していたものだ…ということです。やっぱり、小室直樹はすごいものだと思いました。もちろん森口氏の書く通り、Ph.D.を取得していませんから、経済学を制覇してはいませんね。

どうやら、小室直樹が偉大な学者で、ノーベル賞クラスだとか、そういう虚像が独り歩きしたら、それはかえって不幸だということのようです。たしかに、そういう風に小室直樹を見ている人もいるのかもしれません。しかし、間違いなく偉大なライターでした。

 

3 学者としての評価と物書きとしての評価

森口の小室に関する文章は、とてもわかりやすいのです。研究者として、小室モデルを作ったわけではなく、他人の理論をわかりやすく説明しただけであり、予備校の教師にふさわしい能力の持ち主だっただけではないのか…という評価になりそうです。

学者としても大成せず、1980年の『ソビエト帝国の崩壊』以降の小室の活躍も、森口氏からすると、「痛ましい晩年」に見えたのかもしれません。ところが、物書きとしてみると、読ませる本を書く能力は圧倒的でした。これは最初からの体質だろうと思います。

『危機の構造』という本を最初に読んだとき、学者の枠からはみ出ていると感じました。無理なことをするから、この本のあとがきにあるように、[この十年来、既契約の書物だけでも未刊なものがすでに半ダースに及ぶ]ということになったのでしょう。

 

 

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