■慣習法と宗教の視点:『評伝 小室直樹』を参考に

1 小室学原論:『痛快!憲法学』

小室直樹の著作は多い。何を代表作とするのか、簡単にはいかない。村上篤直は『評伝 小室直樹』に[平成13(2001)年、小室学の精華、小室学原論とも称すべき一冊の本が刊行された](下・p.537)と記している。『痛快!憲法学』(『憲法原論』)のことである。

▼これは、のちに改題されたタイトルのとおり『憲法原論』だが、それにとどまらない。内容としては小室のあらゆる学問的成果が縦横無尽にちりばめられ、しかも、わかりやすくまとまっている。これ一冊があれば、小室学の全体像は把握できるとすらいえる。 『評伝 小室直樹』下・p.538

小室は編集者を前に、かつてのゼミのように講義を進めていく。[一日、五、六時間]の講義を[極めて元気]に行った。[教えるのが、ものすごく好きで、教えることで情熱が燃え上がるのだろう。飽きずに、あきれずに、何度もなんども、わかるまで指導する]。

2000年1月31日から2月いっぱい講義が続いた。担当の佐藤眞は[小室の講義を文字起こしして、再編成し、纏めていった。その原稿を見て、小室はいった。「佐藤は、凄いやつだ。この本はすごく完成度が高い」]。この校正刷りにさらに書き込みをしていった。

 

2 「憲法が死んだ」

憲法も国際法も慣習法である。成文があっても、実際にそれが守られなくては、機能は持ちえない。「国際法が死んだ」というのは、従来からの慣習が明確に破られ、それまでの慣習はもう機能しなくなるということである。憲法も、同様に死ぬことがある。

『痛快!憲法学』(『憲法原論』)でも、日本国憲法が死んだと小室は言う。ロッキード裁判の際に、[日本の裁判所は法の番人を自称しながら、デュー・プロセスの鉄則を自ら破った](『憲法原論』・p.450)。適正手続きを守らなかったということである。

▼公訴棄却のときに最高裁は「コーチャン証言には適法性がなかった」旨のことを述べた。つまり最高裁だって、コーチャン証言は憲法違反だということがわかっていたというわけです。 『憲法原論』・p.450

斎藤隆夫が「反軍演説」をしたのに対して、帝国議会は斎藤を除名した。昭和15年(1940)3月7日、[この日、戦前日本のデモクラシーは死に、明治憲法も死んだ](p.421)。これと同じことが戦後にも起こった、だから憲法を甦らせよと、小室は主張するのである。

 

3 最高のティーチャー

小室は[憲法の急所は「基本的人権」]であり、[中でも最も大切なのが、生命、自由の権利]であるから、[まさに第13条の規定こそ、憲法の急所、憲法の生命線なのです]と言う。この13条に焦点を当てて、論じたのが『日本国憲法の問題点』だった。

『日本国憲法の問題点』の場合、小室が国際法の視点で日本国憲法を論じているのが、一層はっきりする。『痛快!憲法学』でもそうだった。両著を読むことで、より一層小室の主張が理解できる。さらに『世紀末・戦争の構造』では国際法の視点が見えてくる。

慣習法たる国際法の視点を小室は大切な方法としていた。そのベースには、宗教についての理解がある。これは1997年刊行の『世紀末・戦争の構造』を読めば分かる。あるいは[納得のいくものが書けた](『評伝 小室直樹』・下537)という『宗教原論』がある。

小室の場合、『ソビエト帝国の崩壊』『アメリカの逆襲』でも、『痛快!憲法学』でも、講義のように話した内容を、編集者が再編成したものは密度の濃い出来になっている。小室は「最高のティーチャー」(『評伝 小室直樹』・下256)だったということだろう。

 

『日本国憲法の問題点』は『憲法とは国家権力への国民からの命令である』に改題。

 

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