■小室直樹によるソビエト崩壊の分析:『評伝 小室直樹』を参考に
1 圧倒的だった『ソビエト帝国の崩壊』
もうずいぶん古い話になるが、小室直樹の『危機の構造』を糸川英夫と山本七平が推薦していたのを見たことがあった。たぶん『サラリーマンの読書』(1979年)という本だったと思う。なぜか、その本を読みたいと思った。これが小室直樹との出会いである。
『危機の構造』は、お手上げというほどではなかったが、しかし、よく理解できたとは思えない。そのとき思ったことは、もっと大きなテーマで書けばいいのにということだった。小室自身が、それを願っていたのではなかったか。そんな気がしたのだった。
こうした思いは、その後、すぐに実現した。1980年8月、小室は『ソビエト帝国の崩壊』を出版した。すぐに読んで、圧倒された。それまで言われていたソ連脅威論がすっかり打ち砕かれてしまって、小室の視点でソ連を見るしかないように感じた。
2 ソビエト論を選んだ編集者
村上篤直『評伝 小室直樹』によると、光文社の編集者が、企画を決めずに好きにしゃべってもらったものから、ソビエト関連の部分を集めて編集したものだという。小室がソビエトをテーマに選んだのではなかった。これは初めて聞く話だった。
▼加藤が質問する。それに対して、小室が答える。
加藤は驚く。とにかく、小室の話は面白いのだ。
速記者もいたが、加藤は、何でもかんでも録音した。(p.8)
このとき小室がソビエトについて語った部分は、ごくわずか。全体の10分の1ほどにすぎなかった。しかし、加藤は「ソビエト論がいける」と直感した。(『評伝 小室直樹』:p.10)
加藤というのは、経済学部出身で専攻がソビエト経済学だった加藤寛一という光文社の編集者である。小室は編集者に恵まれた。小室の語ったものの中で、一番多くの人が聞きたがったであろうテーマを選び出してくれた。編集者がベストセラー作家を生んだ。
3 ソ連崩壊のポイント
同じ1980年、4カ月後の12月に『アメリカの逆襲』が出版される。すぐに本が出せたのは[前著『ソビエト帝国の崩壊』執筆の過程で余った原稿を元に、加藤が急遽、仕上げた](p.15)からであった。この本は[実質的続編]ということになる。
▼小室にとって、アメリカはソビエトと同じものである。ともに特定の理念に基づいて作られた人造国家。また、システム論を体得した小室にとって、「崩壊」も「逆襲」も、ともにシステムの作動であって同じことなのである。(『評伝 小室直樹』:p.15~16)
しかし小室の場合、ソビエトの分析のほうが上手くいった。まさにピタっと当たった。現実のソビエト崩壊が、この本の後追いをすることになる。橋爪大三郎は『小室直樹の学問と思想』第一章「ソ連崩壊はこうして予言された」で、そのポイントを示す。
▼現代ソビエトの問題とマックス・ヴェーバーの宗教社会学とが結びついているというのが、小室さんの一番の洞察なのです。ヴェーバー社会学と、ソビエトの不振。それをバラバラに知っている人はいても、両方を有機的に結びつけた人がいなかったわけです。本当はそこがミソなのです。(『小室直樹の学問と思想』:p.24)
橋爪は『崩壊』にある[マルクス主義の宗教社会学的構造は、ユダヤ教徒そっくり]という小室の分析を受けて、ユダヤ教に似た「東方的な要素」をもつマルクス主義を受け容れうるのは[ロシアのツァーリズム支配下の社会しかあり得なかった]と解説している。