■マネジメントを学ぶ理由:澤田秀雄『変な経営論』を参考に その2

1 社長復帰の理由

澤田は12年ぶりに社長に復帰した。理由は2つあったと語っている。1つは[私の作ったエイチ・アイ・エスのビジネスモデルも古くなったのだ。ここでビジネスモデルを根本から変え]る必要があった。もう一つは会社の事業の多角化が原因だった。

▼旅行以外の分野まで目配りするとなると、それを経験した私にしかできない。エイチ・アイ・エスの幹部は若くて頭が柔軟だし、旅行業のプロでもあるのだが、ここまで多角化した業務に対応しきれない。M&A(合併・買収)も加速させるので、迅速な意思決定のためには、私がトップを務めるほうがいい。 p.6:『変な経営論』

澤田は私益を優先させたわけではなかった。自分が作った組織をリニューアルしなくてはならない状況であること、その対応をするのは自分しかないという責任感から、社長に復帰した。まだ会社は成長できるという見通しをもっていたのである。

それまで成功してきたモデルを作り変えるということは、従来のモデルを壊すことになる。それを躊躇なく行えるのは、たぶん最初のモデルを作った人だろう。さらに新しいモデルを作るためには、経験が必要だという判断があった。あとは結果を見せればいい。

 

2 ずっと赤字だったハウステンボス

ハウステンボスは最悪のロケーションだとも言えるテーマパークだった。長崎の人口は少なく、アクセスも悪い。さらに雨が多い。[テーマパークは立地が命である][ハウステンボスは、絶対にテーマパークをたててはいけない場所に建ててしまった](p.20)。

その結果がどうなったのかは明らかである。一度も黒字にならなかった。過剰投資もあり、[こんな悪条件では、誰が経営しても、なかなか黒字化は難しい](p.20)。こういうことがわかっていた澤田が、その後、「まさか…」と思いながら再建を引き受けた。

なぜ、引き受けたのか。社会のためにというわけではなかった。一組織が自らの組織を毀損するような形で、再建役を引き受けるわけにはいかない。黒字化できるという見通しが立たなくては、組織の長として許されないのは言うまでもないことである。

 

3 「公共の利益を企業の利益とする」ケース

澤田は[関係者との交渉で財務面の問題が取り除かれた](p.22)ため、最終決断をした。[私も上場企業のトップだ。エイチ・アイ・エスに致命的損失は与えないという条件がなければ、株主や社内の理解を得られない](p.23)ということである。

ここで澤田の決断をどう評価したらよいのか、確認しておきたい。当然、本人は語っていないことである。借金をゼロにしてから再建を担うことにしたが、それでも[世間的には「エイチ・アイ・エスはバカな選択をした」という評価が圧倒的だった](p.23)。

澤田の苦労、当初の失敗について、『変な経営論』で語っている通りだろう。しかし他の人とは違って、自分がやれば成功するという確信が底流あったのであろう。失敗を経て最後は成功に至る…という確信が当初からあったというしかない、見事な航路である。

条件さえ整えば、収益の柱になりうるというビジョンがあったからこそ、再建を引き受けた。検証は3年と決められていた。佐世保市長にも、最初にその確認を取っている。佐世保にとっては再建が命であった。「公共の利益を企業の利益とする」ケースといえる。

 

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