■ドラッカーにおける文章という武器 その2


1~3…はこちら

4 社会生態学とは?

文章で大切なことはおそらく二つあります。一つは、何を書くかということ。もう一つは、どう書くかということです。文章が苦手な人は、何を書いたらいいかわからないと言うか、どう書いたらいいのかわからないと言うことになります。

ドラッカーは[何について書いているかと聞かれれば、急に歯切れが悪くなる]と「ある社会生態学者の回想」で書いています。書いてきたものは、従来からの学問の領域からするとずれているようですし、いくつかにまたがっていて学際的でもあるからでしょう。

ただ、[自分が何であろうとしてきたかは十分承知している。はるか昔から承知している。私は「社会生態学」だと思っている](p.299:『すでに起こった未来』)と書いています。[「社会生態学」とは、私の造語である]とのこと。どういうものでしょうか。

社会生態学では[人間によってつくられた人間の環境に関心をもつ](p.299)ことが原則であり、[私の仕事は、継続と変革の相克に対する関心からはじまったと言ってよい]と記しています。人間のつくったものの継続と変革のせめぎ合いこそが中心テーマです。

ドラッカーの関心は、まず法治国家に向けられたということでした。法治国家では[継続と変革をバランスさせ][過去の伝統を守りつつ、変革、しかもきわめて急速な変革が可能な社会と政治をつくろうとした。そして、見事に成功した](p.302)のです。

しかしこうした成功も、[法治国家は軍のシビリアン・コントロールに失敗し、十九世紀ヨーロッパの崩壊を招く一因となった](p.303)。それは言うまでもなく[ナチスがドイツで権力を掌握したため](p.305)でした。本は[完成させられなかった]のです。

▼そのような状況から、わたしの最初の本格的な著作『経済人の終わり』(1937年執筆、1939年初頭発行)が誕生した。それは、あらゆる継続性とあらゆる心情を喪失した社会、悲惨な恐怖と絶望に陥った社会の崩壊を記録するものだった。
その数年後、私は、継続と変革の双方を可能とする産業社会のための社会理論と社会構造を明らかにすべく、『産業人の未来』(1942年)を執筆した。 (p.305)

 

5 ドラッカーは何を書いたのか?

ドラッカーは[「法治国家」に関する研究を放棄]して、別の対象に関心を移しました。そのせいか、[十九世紀を通じて、軍と外交のシビリアン・コントロールに成功し続けたのは、英語圏の二国だけだった](p.303)といいながら、法の支配に言及していません。

いまならば、「法治国家」と「法の支配」における「法」の概念が違うといえば済むことでしょう。「法治国家」の「法」は適正手続きで成立した形式的な「法」にすぎず、「法の支配」の「法」は自由主義・民主主義的な実質を持つ「法」だということです。

第二次大戦後、「法治国家」の法概念が「法の支配」の法概念を採用した結果、両者はほぼ同じものとなりました。もはや対象を変えるべきときだったのです。[1940年代に、私が組織の研究に着手した]ことから、ドラッカー・マネジメントの体系が生まれます。

継続だけでなく、変革もマネジメントの対象となりました。[その後長い年月を経て、私は、変革もマネジメントの対象となるべきことに気づいた](p.306)のです。ドラッカーは何を書いたのか。以下のように、本人の見事な一筆書きになっています。

▼最初の著作から最近の著作に至るまで、私は常に、現代社会における個人の自由・尊厳・地位に関わる問題、個人の貢献・成長・自己実現における組織の役割と機能に関わる問題、さらには、個人にとっての社会とコミュニティの必要性に関わる問題を追求してきた。 (p.312)

 

6 ドラッカーの3原則

ドラッカーは書くべき対象を適切に選び出し、そこでの現象に意味を見出しました。どうしたら大切なものが見いだせるようになるのでしょうか。ドラッカーは言います。[重要なことは、「すでに起こった未来」を確認することである]。

▼すでに起こってしまい、もはや元に戻ることのない変化、しかも重大な影響力を持つことになる変化でありながら、まだ一般には認識されていない変化を知覚し、かつ分析することである。 (p.314)

対象をよく見て、気づいたことを検証する必要があります。そのとき文章に書く必要があります。なぜかと言えば、こうした[社会的な現象の中で意味ある事象は、定量化に馴染まない]からです。ドラッカーが[定量化を行わない最大の理由]はここにあります。

書く前に、[社会とコミュニティを観察すること]が必要です。そのときの質問は「通念に反することで、すでに起こっている変化は何か」になります。次に、問うべき質問は、「変化が一時的なものではなく、本当の変化であることを示す証拠はあるか」です。

変化が本当かどうかを確認するために、「その変化は何か結果をもたらしたか」「何か世のなかを変えたか」を問う必要があります。そして「もしその変化に意味と重要性があるのであれば、それはどのような機会をもたらしてくれるのか」を問うことが必要です。

「ある社会生態学者の回想」には、ドラッカーが書くにたる内容かどうかを判定する基準が示されています。対象を選び、現象の意味を見出すのです。これが[社会生態学者の仕事とは何であり、何でなければならないか](p.317)ということになります。

何を書くかというときのドラッカーの原則を確認しておきましょう。以下の3つです。
[1] 通念に反する変化がすでに起こっていないかを観察によって探す。
[2] 本当の変化である証拠となる結果を見つける。
[3] 意味のある重要な変化がもたらす機会は何であるかを見出す。

 

This entry was posted in マネジメント. Bookmark the permalink.