■リーダーの資質・組織の資質:その2


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4 スーパーマン的なリーダー

『ネクスト・ソサエティ』(2002年)の「トップマネジメントが変わる」を見ると、ドラッカーは[GEのジャック・ウェルチ、インテルのアンディ・グローヴ、シティグループのサンフォード・ウェイル]などをスーパーマン的CEOと呼んで、別扱いしています。

▼組織に必要とされるものは、真摯に仕事をする有能なトップマネジメントであって超人ではない。今日何人かのスーパーマン的なトップがいるということ自体が、トップマネジメントの危機を表している。 p.56

ドラッカーはリーダーに対する資質を問うていました。1954年の『現代の経営』において、リーダーに必要なのは[才能ではなく真摯さ]という資質だと語っていました。ここでの真摯さは「integrity」の訳語として、上田惇生が苦労して見出したものです。

ただ上記の[真摯に仕事をする有能なトップマネジメント]の「真摯」は「integrity」の訳語ではありません。原文は「competent people who take their job seriously」となっています。有能な人が、真剣に仕事に取り組むことが必要だということです。

リーダーに必要なのは[才能ではなく]ということですから、スーパーマン、超人であることは必要とされません。[真摯さである]とはここにあるように、自分がなすべき仕事を一生懸命、真剣に取り組むことだと考えることもできるでしょう。

上田惇生は、ドラッカーのいう「integrity」の実質的内容との類似性を意識して、あえて「真摯」と訳したのではないかという気もします。リーダーに超人的な資質を求めなくてはならいないようでは、困るということです。かえって組織の資質に疑問が生じます。

 

5 「知覚」を持つ人

1954年の『現代の経営』で示された「integrity」というリーダーの資質はその後も変わらずに必要とされています。ただ十分条件ではないかもしれません。1957年の「未知なるものをいかにして体系化するか」で定量的な分析以上に、知覚を重視するのです。

▼重要なものは、道具ではなくコンセプトである。宇宙、構想、知識には秩序が存在するはずであるとする世界観である。しかもその秩序は形態であって、分析の前に知覚することが可能なはずであるとする信条である。 p.16 『テクノロジストの条件』

リーダーは、超人である必要はないにしても、有能で真剣でなくてはなりません。そのとき、定量的な分析による判断だけではなく、知覚が大切だとドラッカーは指摘しています。リーダーの条件について、1993年のインタビューで次のように語っています。

▼経営管理者とは資源を統合する人であり、機会とタイミングに「知覚」を持つ人だ。
これからは、分析よりも知覚が重要になる。組織を中心とする新しい社会では、期待するものよりも、存在しているものを理解するためのパターン認識の能力の方が重要となる。「今の製品を守ろうとするあまり、新しい製品を犠牲にしようとしているのではないか」といえる人が、これまで以上に必要となる。 『未来への決断』p.12:「ポスト資本主義社会におけるエグゼクティブ」

プロフェッショナルが仕事の中核を形成するようになって、ポストモダンの時代が生まれました。それに伴ってリーダーへの要求が高まったのです。私たちは知らないうちに、リーダーに対して、ビジネスセンスというべきものを求めるようになっています。

 

6 限界のある論理能力

ドラッカーがリーダーの資質として求めているものは、私たちが自然にリーダーに求めるものと似たものかもしれません。超人的な能力を求めているわけではありませんが、しかしかなりの有能さを求めています。リーダーに期待をかけているとも言えます。

リーダーの有能さというなかには、ビジネスにおける「機会とタイミング」を感じとる能力が含まれるはずです。しかしそれが分析でないとするならば、どういうものなのでしょうか。どこか「知覚」というものに対して、不明確性を感じ取ることがあります。

もう一度、私たちは基本から考えてみる必要があるようです。村上泰亮は1992年『反古典の政治経済学』で[自分で見て考えて筋道を作っていこうとする積極的姿勢](上:p.8)という言い方をしています。こうした姿勢はリーダーのものといえるでしょう。

ところが、見て考えて筋道を作るときに、[論理能力だけに依存していたのでは、世界イメージにおける筋道の乱れの多くは見落とされてしまう]のです。確かにその通りでしょう。そうなると[理路整然とした言説にはかぎられない](p.8)ことになります。

村上が[最近世界的に.、反デカルト主義の一環として論理的言語に対する懐疑主義が広がっている](p.8)と指摘するように、ポストモダンの時代になれば、理路整然というのは、かならずしもプラス評価にはなりません。何らかの別要素が必要となるのです。

 

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