■梅棹忠夫の『比較文明学研究』:ビジネスの基礎理論としてのモデル その1

1 業務マニュアル作成の基礎

もう10年以上のお話ですから、いまとは事情が違うはずですが、ある上場企業が世界的なコンサルティングファームに基幹業務のマニュアル化を依頼しました。さすがに早業で、4カ月で業務マニュアルが完成したそうです。

しかし困ったことになりました。できたマニュアルが使えないのです。その後、半年以上調整してみたものの全くダメ。会社が途方に暮れていたそうです。役員がボスの知り合いだったため、私にそれを直せないかという相談が来ました。

見れば、キーワードの統一さえできていない業務マニュアルです。使えるはずありません。ビジネスならば、業務の仕組みをモデルにする必要があるのですが、そうした発想が欠けています。さいわい素材がある程度あったので、3日で再構築の構想ができました。

これは関係者にとって、意外なことだったようです。「何でできたのか」と聞かれました。「モデル化の発想があったから」というのが私の答えです。これがきっかけになって、ビジネスリーダー向けの研修講座を持つことになりました。

歴史や仕組みをモデル化する発想を持って練習している人なら、実際の業務を聞き取れば、業務マニュアルはつくれるでしょう。マネジメントの原則に合致させるためにも、モデル化の発想が必要です。もともとマネジメント自体にモデル化の発想があります。

 

2 モデル化の教科書

モデル化の練習をどうしたらいいのでしょうか。たった一冊とか、たった一人から学べるとは思いませんが、そのなかで一番勉強になったと感じるのは、梅棹忠夫の本でした。その後、さいわいなことに『比較文明学研究(著作集第5巻)』にまとめられています。

中核となる『文明の生態史観』は話題になった本です。本の題名になっている「論文」は『中央公論』1957年2月号に掲載されました。私などこの文章を、エッセイとして読んだつもりでいましたが、梅棹本人は著作集で「論文」と書いています。

わかりやすい文章で書かれていますから、高校生でも十分に読めます。こういう本だからこそ、モデル化の基礎練習が知らずにできたのだろうと思います。使われている言葉が、誰にでも分かるのです。その言葉を使って、モデルを作っています。

[できあがった建築が、住宅であるか学校であるかをいうのは、機能論の立場である。それは、文化の素材の問題ではなくて、文化のデザインの問題であり][生活様式の問題なのである]。こうした文章で説明されるなら、話はすぐにわかるでしょう。

▼では、文化の素材の問題は棚上げにして、現代日本の文化は、全体としてどういうデザインで設計されているか、日本人の生活様式は、どういう特徴をもっているかをとおう。それは、じつにかんたんなことだが、高度の文明生活ということだとおもう。 p.71 『比較文明学研究』

[素材の由来の問題]というのは[系譜論の立場]であり、[材木が、吉野杉であるか米松であるかをいう]を問うものです。ビジネスはこうした系譜よりも、機能を優先して考えます。梅棹のモデルがビジネスに使えるのは、こうした理由もありそうです。

 

3 梅棹が使う用語の適切さ

ここで考えるべきことは、梅棹の文章についてです。梅棹の文がわかりやすいのは、どんなところに秘密があるのでしょうか。まず言葉の選び方が適切でわかりやすいのです。キーになる言葉が「高度の文明生活」ですから、わからない人はいないでしょう。

どうやって、こういう文章が書けるようになったのか、梅棹自身が著作集第18巻の「ローマ字の時代」で語っています。ローマ字を使っているうちに、自分の文章がよくなってきたのだというのです。

▼様々な場面でのローマ字の実践を通じて、わたしがえたもののひとつは、おそらく私の日本語の文章が、いくらかはよくなったことであろう。ローマ字で書こうとすれば、どうしてもむつかしいことばはさけるようになる。ことばえらびに慎重になるとともに、難解な漢語はやさしいことばにいいかえてゆこうとする。かざりのおおいことばにまどわされることなく、できるだけ平明で論理的な文章でかくようになる。ローマ字によって、わたしの文章はきたえられたのである。 pp..34-35 「梅棹忠夫著作集」第18巻

石川啄木の「ローマ字日記」の解説で桑原武夫は[ローマ字がき日本語の時代をはさんで、啄木の文章はいちじるしくよくなっている]と指摘している点に、梅棹は賛同して、それを引用しています。

▼「…むつかしい雅語や漢字の表現からの脱却が可能あるいは不可避となり、そこに自由な新しい日本語の表現法が見いだされ、以後、啄木が、漢字かな混じり文で書くときにも、文体に自由さをまし、民衆的にして新鮮な表現をなし得ることとなるのである。この意義は、いままで指摘した人はないが、きわめて大きい」
啄木において起こったことは、私にも起こったようだ。ローマ字がきの実践以後は、名文とまではゆかなくても、少なくともわかりやすい文章がかけるようになった、と自分ではおもっている。 p.35

モデルをつくるときに、そこで使われる用語が問題になります。梅棹がモデルをつくるときに使う用語は、わかりやすい適切なものでした。だからこそ議論の対象になったのだと思います。用語の適切さが、モデル化の第一の条件だといえそうです。

 

 

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