■高坂正堯の現実世界の分析:隠れた名著『歴史の転換点で考える』 その1

1 ローマ史よりも現実の分析を

塩野七生が文章を書き始めたころ、高坂正堯と山崎正和に[もっっともよくお会いしていた]とのこと。『思いの軌跡』に収める「追悼、高坂正堯、五十歳になったらローマ史を競作する約束だった」に塩野は、二人が[才能豊かな男]だったと記しています。

[高坂さんとは、五十歳になったら二人してローマ史を競作しようという約束]だったのに、五十歳が近くなったころ、高坂は[「おれなあ、現実の分析をやり続けてみたい」って、そういうお話で、私は一人でスタートせざるを得なかったのです]と書いています。

その後、塩野七生は『ローマ人の物語』を書き上げました。この本を書き始める前に[「お話をうかがいたい」とお願いしたのも、高坂さんでした]。高坂のローマ史にも魅力を感じますが、やはり高坂の場合、「現実の分析」の方がもっと読みたくなります。

高坂の最後の「現実の分析」は冷戦後の分析になるはずでした。しかし1996年、高坂は62歳で亡くなっています。冷戦後の状況を分析するのにはぎりぎり間に合ったようですが、残念ながら、体系的な本にまとめる時間がなかったようです。

 

2 「ポスト冷戦時代」の終わった1994年

『日本存亡のとき』がおそらく高坂の最後の書き下ろしだろうと思います。この本は『高坂正堯著作集』にも入っていて、大切な本に違いありません。しかし冷戦後の分析というよりも、冷戦の終結にともなう混乱の時期に書かれたと本だというべきでしょう。

ソ連が崩壊したのが1991年12月25日ですから、出版された1992年時点では、まだ冷戦後の世界が見えてきていなかったでしょう。ロシア憲法が制定されたのが1993年12月12日。冷戦後の世界が見えてくるのは、すくなくとも1994年以降ということになりそうです。

いまごろ知ったことですが、「ポスト冷戦時代」という言い方があるようですね。Wikipediaの「冷戦」をみたら、ポスト冷戦時代(1991年-1990年代前半)という項目が立ててありました。たしかに、この時期を冷戦後の体制とは別扱いしないとおかしいです。

私たちが現在の国際情勢を考えるとき、基本となる体制は第二次大戦後の世界というよりも、冷戦後の世界体制です。高坂の本を振り返りながら、この時期のことをあらためて思います。高坂の場合、冷戦後の世界をちょっと見ただけで、すぐに消えてしまいました。

こうした事情から、高坂による冷戦後の世界の分析を知ろうとしたら、単独の著書ではなくて、『歴史の転換点で考える』という香西泰との共著を読むしかなさそうです。1994年4月に出版されています。共著としては最後の本です。私はこの本を大切にしています。

 

3 高坂が主役の『歴史の転換点で考える』

『歴史の転換点で考える』は17の章からなっています。「あとがき」で香西が[本書は高坂氏と私との議論の末、生まれたものである]と記していますが、対談本ではありません。それぞれが別々に、一つの章を記述する形式をとっています。

全17章のうち、10章分を高坂が記していますから、どちらが主役かは明らかです。香西というすぐれた相手がいたからこそ、高坂は気軽に、この本が書けたのだろうと思います。高坂は「まえがき」で、香西のことを[長年私が尊敬してきた]と記しています。

いま読み返してみると、高坂の書いた章はすべて読むに値します。香西の書いた部分は、残念ながら、もはや必要なくなったように感じました。高坂が、いかにすぐれた学者だったかを改めて感じます。この本について高坂は、「まえがき」に記しています。

▼本来なら、もう少し時間をかけ、二人がそれぞれの仕方で体系化すべきであったかもしれない。しかし、現在は答えを示すよりも、知的混迷から抜け出す模索を、そのままに提示する方が有用であるようなときではなかろうか。すなわち、体系化するまでにいろいろ考えられた事例や理論をも示すことが、人々の思考を刺激するかもしれない。

この本は、[知的混迷から抜け出す模索]を内容とするものです。「まえがき」を高坂は、[冷戦後の世界を特徴づけるものは知的混迷である]と書き出しています。高坂による「現実の分析」をこの本で堪能できるのは幸いなことです。およそ120頁分あります。

【付記】高坂には1995年『平和と危機の構造』があります。1994年放送のNHK『人間大学』用テキストに加筆した教科書的な解説教材です。内容は豊富ですが、『歴史の転換点で考える』での切れ味とは違います。なお『高坂正堯著作集』にも未所収です。

 

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