■梅棹忠夫の『比較文明学研究』:ビジネスの基礎理論としてのモデル その2


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4 ウェーバーの仕事の現代化

梅棹忠夫は、1984年「文明学と日本研究」で[社会科学としての文明学というのは][マックス・ウェーバーの仕事の現代化を目指]す仕事だと語り、ウェーバーの仕事が[たいへんおもしろい仕事で][立派な文明論](p.468)だと評価しています。

ただしウェーバーが[日本のことはおそらくほとんどなにもしらないで仕事をしている]ため[「日本」というカードを一枚くわえてマックス・ウェーバーの見直しをやろう][マルクスについてもおなじ](p.468)だと語りました。

1959年の「宗教の比較文明論への試論」で指摘するように、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をそのまま[日本に適用]させるのは間違いでしょう。[日本にはプロテスタントがない](p.266)というにすぎません。

[歴史における並行現象を認める立場をとれば、その対応物]として浄土真宗の存在が見いだされます。プロテスタントも浄土真宗も[封建制の中から生まれ、封建制に適応し、封建制とともに近世への移行を成し遂げた](p.260)宗教です。

[いずれも宗教改革によって大衆的宗教運動として展開]しているなど、両者には並行現象が見られます。両者がお互いの「対応物」であり、ともに[利潤を得て金をためる、勤労によって成功する、こうした行為を][正当化する宗教](p.266)だといえます。

▼封建制の並行現象があったと認めると、その応用問題として、封建時代あるいはその前後に、いろいろな社会現象について、第一地域内での並行現象をひろいだすことができる。たとえば、宗教改革のような現象。中世における庶民宗教の成立。それから、市民というものがあらわれはじめる。ギルドの形成。一連の自由都市群の発展。海外貿易。農民戦争。みんな、日本にも西ヨーロッパにもあったことだ。 p.78 「文明の生態史観」

 

5 封建制の並行現象

梅棹は1983年の「比較文明論の課題」で、並行現象を見つけ対応物を比較し、[それぞれの文明の構造、機能、あるいは歴史を、論理的に納得できる形にモデル化する][もっとも簡潔でうつくしい形のモデルで表現する](p.423))という方法を示しました。

▼モデル形成を支える論理は、いうまでもなくアナロジーであります。もっとも多面的に、よく適合するアナロジーをそなえたモデルを探すこと、これが比較文明論におけるひとつの方法になるのではないかとわたしはかんがえます。 p.423

この方法はウェーバーの方法よりも使いやすいうえ、結果として『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を大胆に修正して骨抜きにしています。浄土真宗を対応物とした上で、封建制の並行現象を指摘する点、梅棹のほうに分があるようです。

ドラッカーも1992年の『ポスト資本主義社会』で、ウェーバーが[「資本主義」は「プロテスタントの倫理」の落とし子であると言った。しかしこの有名な説も、今日ではほとんど信憑性を失っている]と記すとともに、封建制に言及しています。

ヨーロッパでは[700年頃中央アジアで発明された鐙(アブミ)]により、騎士に[馬上で戦うことを可能とした]ため、[騎士は、その後数百年にわたって、無敵の「戦闘マシーン」となった]。このとき騎士領に「軍農複合体」たる封建制が生まれたとのこと。

鐙は急速に旧世界に広まりましたが、封建制という[新しい階級の誕生は、あくまでもヨーロッパの現象]でした。ただ[唯一の例外が日本]です。[日本の地方における支配者は、歩兵の指揮官、すなわち「大名」だった]と、梅棹の見解を補強しています。

 

6 システムの概念を使ってのモデル化

梅棹の方法は、論理的に納得できる形にモデル化する、もっとも簡潔でうつくしい形のモデルで表現することでした。こうしたモデル化の前提として、文化的集団を[オーガニズム、すなわち有機体としてとらえる](1971年「文明論ノート」p.379)考えがあります。

オーガニズムというのは、肺や心臓などの器官をそなえたものであり[結局は個体のこと]です。[有機体説というのは、結局は生物の個体モデル]といえます。しかし[文明はオーガニズム的ではない統合体]ですから、有機体モデルは妥当しません。

文明を考えるとき、個体を問題にするのではなく、[統合体としての文明はいかなるシステムかということが問題]です。梅棹は[システムという概念はどこからでてきたのか。システムという観念そのものが、生態学の産物ではないか](p.380)と言います。

1983年の「比較文明論の課題」でも、[有機体モデルで文明を考えるのがくせになっている]、[このような生物体モデルを文明に持ち込むことに、わたしは疑問をもちます](p.424)と語っています。

梅棹は[文明の歴史をモデル化する理論をかんがえて、「文明の生態史観」という名で発表しました]。生態学が産んだシステムという概念から、その後、[文明そのものをも、システムとしてとらえてみてはどうかというかんがえに到達](p.425)したのです。

文明のモデル化には、システムの概念が使ます。私たちは、ここでの「文明」を「ビジネス」と置き換えて考えることも可能でしょう。実際、ドラッカーは「The Ecological Vision」(『すでに起こった未来』1993年刊)という本を書いています。

 

 

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