■本の読み方、目利きの方法:谷沢永一『雑書放蕩記』『粋判官』

1 伊藤仁斎『童子問』の言葉

谷沢永一は『紙つぶて』をはじめとしたすぐれた書評を残しています。どうしたら、こういう判定ができるのか。この人の本の評価軸はどういうものなのか。気になるところです。物事の判断や評価の基準について、谷沢は本から学んだということでした。

伊藤仁斎の『童子問』にある「六経の学は、其の大意を得るに在り、苟(イヤシク)も大意既に明なれば、即ち瑣瑣(ササ)たる文義は、固より道に補ひ無し」という言葉で、自分の読み方でもよいのだと自信を抱き、次の言葉に[最も感激し興奮した]ということです。

▼大抵詞直(コトバナオ)く理明に、知り易く記し易きものは、必ず正理なり。詞難(カタ)く理遠く、知り難く記し難きものは、必ず邪説なり。

この言葉が[生涯を通じてのもっとも貴重な賜り物であり道標であった]と、『雑書放蕩記』に書いています。言葉が平明で理屈が明らかであるもの、読んで解りやすく書かれているものは正しいものだというのです。なかなかそんな本はありません。

 

2 梅棹忠夫の論法

谷沢の上手くいった書評がどういうものか、『粋判官』の中にある梅棹忠夫『比較文明学研究』の書評を見ると、それがわかると思います。梅棹の本の中核をなすのは「文明の生態史観序説」です。『中央公論』昭和32年(1957年)2月号の巻頭に載った論文でした。

谷沢が注目したのは、梅棹が[現代のすべての人間の共通ののぞみはなにかということ。もし、そういうものがあるとしたら、それは、<よりよいくらし>ということに違いない]と記した点でした。当たり前で反論できない立言が決定的だったと評価しました。

さらに梅棹は、大切なのは杉か松かといった素材ではなく、住宅か学校かという機能の問題であるから、[文化のデザインの問題][共同体の、生活様式の問題]が重要なのだとした上で、<よりよいくらし>というのは、<高度の文明生活>だと論じました。

谷沢は以上の論法を[格別の論理を必要としない、証明ではない説得]の方法であるとします。[言葉数が多ければ却って逆効果となる]から[少数の単語でけりのつく枠組みの提示が奥の手となる]というのです。谷沢の説明で、梅棹流の論法が見えてきます。

 

3 個別事象の把握が重要

現代人の望みが<よりよいくらし>であり、それは<高度の文明生活>の様式になるという梅棹の論法は、谷沢からすれば、信じるにたるものだったのでしょう。梅棹の「文明の生態史観序説」はまさに[詞直(コトバナオ)く理明に、知り易く記し易きもの]でした。

谷沢は、こうした簡潔で的確な論法を支えるのが[対象を地道に検討して]いるからだと指摘します。[簡潔に素描される]対象の[把握それ自体が、十分に説得的である]ことが不可欠であり、[梅棹忠夫の魅力は、むしろ個別認識の周到に見出し得る]のです。

個別の事象に対する把握が的確であるからこそ、簡潔でわかりやすい表現で論じていけるのだということになります。自分にわかる論考を読み込んで、その際、個別の事象の記述が説得的であるかどうかを検討する…ということは実践可能な方法だろうと思います。

 

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