■書くためには読めなくてはいけない理由:感覚からルールへ

1 文章のルールを知ること

文章が書けるようになりたいという人はたくさんいます。先日もお話しましたが、何人かの方が文章の勉強会で学んでいるところです。まっさらなところから、どのくらいの日数で読み書きが不自由なくできる感じになるのか、あらためてチェックしています。

文章のルールを学ぶことが必要ですから、最初は読みから入ります。多読ではありません。簡単な文章についての説明をしてから、少しずつドリルを解いていくことになります。毎日1題といきたいところですが、用事がありますから、そうはいきません。

何日か休んでも、すぐに追いつく程度のドリルを繰り返すことによって、文章理解を進めて行きます。数週間で読むときのルールが見えてくるはずです。重要な言葉が、どのように文を構成しているのか、意識していくことによって、読めるようになるでしょう。

2 文章を修正する力の源泉

もともと書けないと言ってきた人たちのための勉強会ですから、目標は文章が書けるようになることです。そのためには読めなくてはいけません。文のルールを身につけるときに最初にやるべきことは、この文の構成の仕方がどうなっているかを理解することです。

文の重要な用語はどれであるのか、また、それらがどのように文を構成しているのか…がわかるようになると、読み取りが正確になります。読み取りが正確になってくれば、文の構成が適切であるか、簡潔であるかということが判断できるようになるはずです。

文章が書ける人というのは、自分の文章を読んで、それを自分で修正していける人だと思います。いきなり完璧な文章を書く必要はありません。自分で修正できればよいのです。そのとき修正する力はどこから来るかと言えば、読む力だということになります。

3 感覚的な読みからルールに従った読みへ

普段私たちは文章を読むときに感覚で読むのが普通ですし、最終的に感覚で読めなかったら困ります。しかし、ルールづけして読んでいく過程が不可欠でしょう。この文はこういう構成で、そのためにこういう意味になっているという意識的な確認作業が必要です。

感覚的な読みからルールに従った読みに変えるのは、案外めんどうなことのようです。ルール自体が感覚を裏づけるようなものですから、仕方ないのかもしれません。感覚でルールがわかった気になった結果、感覚的な読みが優勢になってしまうようです。

画家がデッサンについて、修正力が大切だと教えることがよくあります。デッサンの場合、一回でピタッと決めることよりも、自分で修正していけることが大切だということだそうです。修正力がポイントということでした。このあたりは文章と同じです。

修正するには、おかしいと判断する基準が必要ですし、どちらがよいものであるかの基準も必要です。文章のルールはデッサンよりも理屈で理解できる領域が大きくなるのがふつうでしょう。その意味では、その気になれば誰もが身につけられるものだと思います。

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