■アジアの時代は終わったか:日本人の発想転換の必要性

1 アジアの時代が終わったとの記事

2019年暮れにニューズウィークに載った河東哲夫<世界が憧れた「アジアの時代」はなぜ幻に終わったのか>を興味深く読みました。外交官で岡崎久彦のもとで働いた河東は、アジアの時代が「終わった」と過去形で書いています。なぜそう言えるのでしょうか。

韓国、台湾、香港、シンガポールが台頭し、そこに中国が加わって「アジアの時代」を予感させるようになりました。欧米からの資金流入とそのリターンで[両者の利益はぴたりと一致した]のです。この構造が崩れた以上、もはや高成長はないと分析しています。

構造が崩れたのは[中国は、まだ西側にカネや技術を依存していることを忘れて世界で我を通し始め]たため[多くの国は中国への警戒心を高め]、[中国はもはや輸出の製造拠点として安全ではなくな]ったためです。アセアンやインドの発展も限定的でしょう。

そこで一番問題になるは、[中国が沈めばアメリカもアジアから身を引くだろう]との予測です。さあ日本はどうするのかと河東は問題提起をしています。かつて岡崎久彦が分析していた基本構造をもとに、その後の分析がなされているのを感じながら読みました。

 

2 岡崎久彦の分析

岡崎は『情報戦略のすべて』の序論で、欧米と中国の利益の一致について[一つの商売で双方が一億ドルずつ儲けたとしても、それがそれぞれのGDPに及ぼす効果、つまり乗数効果は、被投資国であり経済成長度の高い中国のほうは数倍]だと指摘していました。

こうした中国有利な構造がしばらく続く可能性について、『アジアにも半世紀の平和を』の冒頭に置かれた同名の記事(『中央公論』1999年7月号)で記していました。ここでも日本がどう対処すべきかが問題にされています。前提となる分析は以下の通りです。

▼われわれが正面から取り組まねばならないのは、現状の延長線上のケース、すなわち中国が国内的には一党独裁の中央集権体制を維持し、多少のジグザグはあっても経済成長は続き、軍事力もそれに応じて増大し、その対外政策はナショナリズムが最大の動機となっているような状態であり、これがまた客観的見通しとしても、最も蓋然性が高い。 p.32

ただ東アジアのバランスが崩れるにしても[危機があと十五年後ということならば、別の戦略も考えられる]と記しました。2015年頃を想定してのことです。70年代末に最大の力を持ったソ連が[経済的に息切れして、80年代には自ら崩壊した]例をあげます。

岡崎は人口動態をも考慮に入れて、2015年頃に中国経済のピークがくると見ていたはずです。これは標準的な見方でした。[中国はロシアより賢いであろうから、そうなる前に競争を諦めるかもしれない]とも記していました。この続きを河東が書いたかたちです。

 

3 堺屋太一の3つの提言

問題は日本がどうあるべきかということになります。経済の問題になるとビジネスのありかたに関わりますから、岡崎は言及しません。河東が言及している部分はなかったことにしましょう。この処方箋をくり返し書いていたのは、私見では堺屋太一でした。

堺屋は1994年刊の『満足化社会の方程式』で、[香港や台湾などの華人の資本と経営ノウハウが、中国沿海部に進出した場合、限りなく生産費の逓減が続く]と見て、[こうした新しい現実にどう対処するか]という問題提起を行っていました。

新しい現実は、単純な構造ではありません。[それは自由貿易の古い理想だけでは解決できない問題である]のです。ではどうすべきか、「むすびにかえて」で3つの転換を提言しています。出遅れの感もありますが、今でもそのまま通用するものでしょう。

(1)規格大量生産型の組織から創造性と質的評価を重視する組織への転換。(2)不動産や規模を重視する発想から事業の収益性、消費者欲求を満たす商品提供を重視する発想への転換。(3)職場での協調主義から本音を満たす個性重視の社会への転換。

日本は大量生産の競争で勝ちにいくよりも、質的評価の高い個性的な商品をつぎつぎ創造して、高い収益性を確保する必要があるというのが結論です。当たり前のことかもしれません。あとは具体的に自分がどうすべきか、もう一度考えていきたいと思います。

 

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