■文法的な思考の必要性:留学生と日本人学生の日本語読解力

 

1 読解問題で留学生に負ける日本人学生

留学生に日本語の筆記問題を教える場合、日本語の能力差が問題になります。レベルを見極めてからでない限り、講義内容を決められません。そのため、内容を大雑把に組み立てておいて、実際に講義が始まってから調整していくのが普通だろうと思います。

日本語の授業内容が問題なく理解できて会話がスムーズならば、筆記の指導で特別に苦労することはなくなります。日本語を習得する過程で、文法的な発想で言葉のルールを習得していますから、わからないところがあったとしても、たいてい説明が通じます。

同じ読解問題でつまずいた場合、日本人に説明するより、留学生に説明する方が楽です。一定レベル以上の留学生ならば、日本人よりも読解問題ができることもよくあります。唯一の正解者が留学生であっても、語学の天才ではなくて、たいてい普通の人です。

 

2 文法的なアプローチの必要性

留学生の場合、原則として文法を学びながら日本語を習得しています。外国人向けの日本語文法のテキストは、日本人向けの文法の本よりも実質的といわれます。とはいえ不十分な点が多々あって、よい説明を見つけてきたり自分流のルールで補っているようです。

こうして日本語のルールを習得していくと、不明な点を理詰めで理解する発想が強くなります。こういう人達に納得してもらえる説明ができるか、講師は問われるのでしょう。理詰めの説明は、日本人よりも日本語のできる外国人に通じやすい傾向があります。

しかし文法的な思考は日本人にも必要です。何人かの日本人学生に日本語のルールを教えてみると、面白がる学生が出てきます。教えられてなかっただけなのかもしれません。当然ですが、日本人が日本語の読解力の訓練をすれば、たいてい留学生を圧倒します。

読解力の低下というのは、日本語をルールで理解してこなかったからではないかと感じます。簡単な読解問題でつまずく学生がおおぜいいるのは残念です。正確に相手の言うことが読み取れないと、適切なコミュニケーションが取れなくなってしまいます。

 

3 行き過ぎた文法軽視

外国語を理解するくらいの気持ちで日本語に取り組むと、複雑な構文の文章も読めるようになります。翻訳の場合、どうしても妙な日本語になりがちですが、すばらしい内容の本もありますから、読まないのはもったいないことです。平気で読めたほうが得します。

面倒な書き方をした文章が読める人は、文の構造が理解できるということです。あまり適切でない文構造でも基本ルールに基づいて適切な処理をして理解できるようになります。そうなれば、普通の文章を読み間違う可能性は大幅に減ることでしょう。

訓練といっても、それほど難しいことではありません。言葉の種類を意識すること、文構造がわかるようになること、それらが文の意味にどう反映するかを知ることです。ただ、いい教材がないという話は、日本人のみならず留学生からも聞こえてきます。

かつてはここまで文法軽視ではなかったようです。たとえば1972年に初版がでた『中学生のやさしい文法』(橋本武 著・學燈社)の場合、200頁にわたって文法項目が丁寧に説明されています。いまならば、大学生用の教材としても使えそうな詳細さです。

日本語の文法が実用的でないとの批判があり、私も批判する側にいますが、同時に、読解能力を高めるためには文法的な思考が必要だと考えています。自分で納得できるルールを見出すつもりで、ときには理詰めに読む機会を作ることも悪くないと思うのです。

 

*追記
上記の『中学生のやさしい文法』は参考になる本です。ただ、通読する本ではないと思います。文法の本に決定版はありませんが、もし何か読もうということでしたら、書店で外国人向けの日本語の本を見て、気に入ったものをお選びになるのがよいと思います。

 

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