■読み書きのために 5:「は」「が」の使い分けと文の主題

 

1 「は」と「が」の違い

文の主役の目印になる助詞「は」と「が」にはニュアンスの違いがあります。両者には役割の違いがあるからです。「は」接続の場合、「Aならば …(です)よ」と言いかえができ、「が」接続の場合、「Aですよ …というのは」と言いかえられます。

「私は/ 行きます」と言う場合、文の主役になる「私」のことだけを語っています。他の人のことは関係ないのです。「私ならば行きますよ、他の人はわかりません」という感じでしょう。「は」の接続によって、主役が特定・限定されて唯一の存在になります。

「私が/ 行きます」の「私」は、「誰が行くのか」に対して、選択肢から選びだされた存在です。「私ですよ! 行きますというのは」ということになります。他の誰でもなくて「私が」ということです。自分で自分を選んでいるので意思を感じさせます。

「この鍵は/ 金庫の鍵です」と「この鍵が/ 金庫の鍵です」の違いも同様です。前者は「この鍵ならば…」と特定された鍵を1つだけを持って、これはね…と語る感じでしょう。後者は複数ある鍵の中の1つを指でさして「この鍵ですよ…」と語る感じです。

 

2 文の主役の定義

「は」と「が」には、以上のような違いがありながら大きな共通性があります。それは、ともに文の主役の目印になるということです。日本語は文末に重心をおく言語ですから、文末に大切な意味内容があります。それが何についてのことか…の情報が必要です。

文の主役とは、【文末で言っていることが「誰・何・どこ・いつ」のことなのか?】という公式に該当する言葉です。これが文の主役の定義になります。読む人がわかりやすいように、文の主役には目印があったほうがよいでしょう。「は」「が」がその目印です。

「文の主役」⇔「文末」という対応関係が日本語文の一番の基本構造です。上記の公式に該当する場合、主役と文末が対応関係になります。該当しない場合、対応関係が不成立なので、文の主役にはなりません。主役にならない「は」「が」があるということです。

「この本はもう読みました」の文の主役はどうでしょうか。「読みました」というのは「誰・何・どこ・いつ」のことか? 読む行為ですから主役は人でしょう。「誰が」の記述がない場合には「誰=私」ですから、「私」⇔「読みました」の関係だとわかります。

本来の形は「(私は)もうこの本を読みました」だったと考えられます。「この本」を強調するために先頭に出して「は」をつけた形です。「この本」は主役ではありません。例文の「この本はもう読みました」は「この本」を強調する強調文ということになります。

 

3 不明確な「主題」の概念

しかし「この本はもう読みました」の「この本」を文の主題だとする見解があります。助詞「は」がついたら主題、「が」なら主語(主格)という、接続する助詞によって形式的に役割が変わるとの考えです。しかし日本語文の主題はそれほど明確ではありません。

たとえば、「あの子の場合、返事は/ いいです」と「あの子の場合、返事が/ いいです」を考えてみましょう。前者は、返事ならばよいのです。それ以外の実践ではダメだという意味でしょう。後者はあれこれの中でも、返事が特にいいという意味になります。

前者の「あの子」への評価は、いいのは返事だけだという否定的なものです。後者の「あの子」への評価は、とくに返事がいいとのだと肯定的になっています。ともに評価対象は「あの子」ですから主題は「あの子」なのでしょう。「は=主題」になっていません。

「あの子の場合」を「あの子は」と言いかえた場合、前者は「あの子は返事はいいの」となって、「は」接続が2つ重なります。このとき「返事」も主題なのでしょうか。日本語文を説明する場合、「は=主題」であると主張するのは形式的に過ぎるのです。