■圧倒的なものと完璧なもの

 

1 ツマラナイ指導

今年の就職活動が、例年より早く始まっています。学生から問い合わせが来ています。この会社はどうか、この言い回しで大丈夫か、学校側の話が納得できないとか、なかなか面白い話があります。学生も必死ですから、対応はたいてい深夜に及びます。

聞かれていることは、大したことではないのです。学生も先生も、神経質になりすぎているのかもしれません。数年前には、お辞儀の角度まで指導した先生がいたらしくて、体で角度を覚えなさいと言われたという話が来て、しばらく笑いが止まりませんでした。

企業間での考え方の差が大きくなり、学校ごとに情報収集能力の格差が大きくなっています。エントリーシートの文章のキーワードにマーカーを引いて強調したものを見たら、昔ながらの「指導」をしている先生は腰を抜かすかもしれません。

圧倒的なセンスを発揮する学生が出てきています。企業側が何を見ようとしているのか、考えるべきでしょう。企業側が自分のお気に入りの写真を貼って自由なコメントを求めているときに、40人と書くな、40名と書くんだ…という指導はばかばかしいものです。

 

2 絵がわかる人

私の絵の先生だった磯村敏之の絵の整理をしていたとき、現在師事している山崎弘画伯が磯村の代表作の一つを前にして、この絵だって完璧じゃないんだ…と具体的な点を指摘したことがありました。そして、そんなこと関係ないほど圧倒的だろうと語ったのです。

細かいところを気にしすぎて、大きなところが見えない人はセンスがない人です。絵がわからない人は大きな魅力が見えていないということになります。あらゆる面で完璧なものなどありませんから、小さなキズを見つけるのは、わりあい簡単なことです。

絵がわかるわからないだけではなくて、仕事のできる人なら、大きなところから見ていくはずです。どうでもよい小さなことを指摘して、それで満足している人に仕事の評価などできるはずありません。完璧さを求める領域がどこであるかの見極めが大切です。

 

3 圧倒的に重要な点

新しいこと、創造的なことをしようとしたら、すべての面で完璧なものを目指してはいられなくなります。問題があることがわかっていても、それがどの程度の問題であるのかが評価できて、その評価が正しければ、問題があっても大したことではなくなります。

仕事のできる人と、この件でお話をしたことがあります。その人は自分のこととして話していました。学校のときから、狭い範囲のことを完璧にするように何度も何度も言われて、正解があるような気がして、修正修正してきた、あれは良くないというのです。

小さな領域の中で、どうでもよいことを何度も直すように言われ続けると、大きなところが見えなくなる可能性があります。改善提案の中に、圧倒的なものとツマラナイものがあるのはよく知られています。提案の質はおおむね提案者の実力そのものです。

圧倒的に重要な点が何であるのか、そこが勝負所でしょう。最初から完璧を目指すことは創造性を犠牲にすることになります。小さくても不完全でも、圧倒的なものを目指していくことが大切だろうと思います。完璧はあとをついてくるものであるべきです。

 

 

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