■野見山暁治 画伯の講演から:じっくり見ることの重要性

 

1 モノをじっくり見なくなった時代

野見山暁治画伯は現在97歳の現役の画家です。2014年に文化勲章を受けています。10月6日に国立新美術館で自由美術協会主催の講演がありました。講演を聞くのは、これで3回目になります。最初は10年ほど前のことでした。今回もいいお話が聞けました。

文化勲章を受けた画家ですから有名画家には違いありませんが、しかし世の人は画家の名前など知らないようです。洋画というものが衰退して、絵描きはもはや滅びかけている…ということに、やっと最近になって気がついたとご本人が語っていました。

最近の人は、モノをじっくりと見なくなった、これは危ういことだ…という指摘が、この講演のポイントなのかもしれません。どんどん時代がせわしなくなって、スピードの時代になったから、モノをじっと見ていられなくなってしまったというのです。

 

2 色に焦がれる

野見山は戦後、ヨーロッパに行きたくて、あれこれの苦労して、やっと1952年にパリに出かけました。一年の留学予定だったのですが、パリで出会った加藤周一から、最初の一年は絵を描かないように言われたそうです。その通りだと思って、そうしたとのこと。

加藤は、短期間ではフランスはわからない、最初の一年でフランス語を勉強して、フランスをよく見てから絵を描き始めたらいいと言ったそうです。一年したら、もう絵を描かずにいられなくなって、そこから絵を夢中に描くようになったとのことでした。

この一年が何かを大きく変えたようです。色の好みが変わって、留学前に用意した絵の具はもはや使う気にならなくなっていました。当時のフランスの、色を抑えた風景の中にいると、色に焦がれるようになっていたのです。そこに住んでいる実感が絵に現れました。

 

3 モノを見るところからの出発

何で絵を描くのかと聞かれたら、絵が好きだったからと言うしかない、理屈じゃないんだ…というのが実感だと野見山は語ります。デッサンを描いて、それに色をつけていく作業だけではダメだということ。エネルギーとなる何かがないといけないのです。

中学から油絵を習い、戦争前、自由に描いていたらフォービズムと同じだったという野見山ですが、戦後、セザンヌやマチスの後の、1950年代の森芳雄、麻生三郎と同時代のフランスの絵を見たいと思ったのです。絵とはなんだと疑問を持ちながらの留学でした。

額に入って、べたべた絵の具を塗った絵をさんざん見てきた野見山にとって、額のない絵は爽やかで、たいていの絵が一発勝負で決められているのも、ずいぶん気を楽にしてくれました。苦労したという感じが評価される世界から、解放された思いだったようです。

いまは油絵の道具でマンガを描いてやしないか、日本はすべてが流行になっている、モノを見るところから出発しなくてはならないのではないか…と野見山は言います。じっくり見て、本質を見出そうとしない限り、見るべきものが見えないのかもしれません。

 

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