■文書作成の基本的作法:近江幸治『学術論文の作法』を参考に

 

1 読みやすさを意識すべき理由

ビジネス文書に限らず、レベルの高い文書を作成するのはたしかに難しいことだろうと思います。しかし書くべき内容を持っている人が基礎的なポイントを押えたならば、ひとまず合格レベルのものを、安定的に作成していけるはずです。

文書ですから、内容が問題です。内容がきちんとしたものかどうかが問われます。評価される内容は、文書に書かれたことだけです。文書の記述だけが評価対象になるということを意識しておかなくてはなりません。文章が問題視され、読みやすさが問われます。

書くべき内容を持っているかどうかを判断する場合、結果として書かれたものから検証していくしかありません。明確な内容にまとめられていないなら、何かが足らないのです。文書の内容をもっと詰める必要があるということになります。

文書の構成をどうするか、どういう形式で示すか…という点をもっと意識すべきです。たとえば注のつけ方なども問題になります。近江幸治は『学術論文の作法』で、こうした事情に言及しています。自分の本で「注」が割注(本文内注)になっている理由を語ります。

▼横組みでこれを採用しているのは私の『民法講義』くらいであろうが、私がこれにこだわってきたのは、読み手の思考プロセスが中断されないこと、割注を飛ばして読めば速読が可能であること、本の総ページ数を増やしたくないこと、からである。 [旧版:p.63]

学術論文に限らず一般学生向けの本でも、まだ割注(本文内注)がわずかなようです。ビジネス文書の場合、可能な限り本文中に注を入れることが推奨されます。理由は上記の通りです。[読み手の思考プロセスが中断されないこと]が大切な点です。

 

2 起承転結の形式は論文に不適切

記述することが学問やビジネスの基礎であるというのは、山崎正和も主張していたことでした。『日本語の21世紀のために』で[全ての学問の基礎になり、社会生活の基礎になるのは記述なんですね]と語っています。近江も先の本に別な言い方で書いています。

▼「文章」は、”自分(の能力)に対する評価”の対象そのものである。これは、「頭の中で考えたこと」に対する評価ではなく、その人が書き表した「文章」に対する評価であるから、その意味では、間接的な評価である。したがって、その人の思考論理がいくら優秀であっても、文章表現が下手であれば、当然に評価は低くなる。 [旧版:p.74]

では、起承転結という論理構成は使えるでしょうか。よく使われる例文があります。
・起句: 大阪本町糸屋の娘
・承句: 姉は十六妹は十四
・転句: 諸国大名は弓矢で殺す
・結句: 糸屋も娘は眼で殺す

近江は言います。[「起承転結」が学術的論理の展開として使えるか? 答えは、”ノー”である]。[転句は、承句とはまったく関係がないから、学術的論理には不必要である]。結句も[「仮説」(起句)の論証という論理展開とは無縁]です。

▼結句では、なるほどと思わせる”突飛な効果”を出しているが、学術論文の「結語」部分は、突飛なことをいうのではなくて、論証による「仮説の正当性」を述べれば足りるのだから、(漢詩)絶句の結句と同視はできない。 [旧版:p.43]

これなど当たり前のことかもしれません。しかしかつては文章を書くときに、起承転結が必要だとよく言われました。すぐれた精神科医である中井久夫も起承転結が必要だと思っていたようです[中井久夫の文書論・マニュアル論]。別の構成が必要でしょう。

 

3 参考になる学術論文の作成法

学術論文というのは、[一定の研究を行って得た「仮説」を、確信をもって世に発表する文章である]と近江は言います。「仮説」が、たんなる思いつきの仮のものであっては困ります。この点、ビジネスの世界で示される仮説は大丈夫でしょうか。

▼仮説は、内容的に「結論」と同じである。そして、この「仮説」が正当であることを、確信をもって、世間・学会に対して論証し、証明しようとすることが、学術論文の発表であるから、「仮説」が形成されるためには、ある程度研究が進んでいなければならない。  [旧版:p.44]

学術論文の基本的な形式は、(1)「仮説」の設定、(2)仮説の「論証」、(3)「帰結」(独自の見解であることを示す)…とのこと。ビジネス文書の場合、結論を設定し、ポイントを解説し、これがよいと念を押す形式ですから、やや違いますが原則は同じです。

(1)「仮説」の設定(序論)では、[どのような問題意識の下に、どのような「仮説」を抱くに至ったか]を述べ、[従来の学説や判例]または[従来の考え方ないしアプローチと自分のそれとの違いを、それぞれ明確にしておく必要がある]ということです。

(2)仮説の「論証」が学術論文では[最も重要な個所]になります。どういう方法で論証するのかが勝負どころです。[”どのようにして”(=方法)というのは、論文の扱うテーマによるから、一概にはいえない]のは当然ですが、ここでもポイントがあります。

論理的なアプローチ、標準的な手法での分析、類似ケースとの比較(類推)など、[論証部分のそれぞれについて、仮説との関係をきちんと押さえ]ることが「仮説の論証」にとって必要不可欠なことになります。これをきっちりやれば、その後が楽です。

(3)「帰結(結論)」の場合、[最初に立てた「仮説」と同じことになる]ので、[「序論」の叙述と重なることがあるが、別におかしくはない]。ただ[審査員は、結論部分にかなり注目を払っているから、丁寧に説明したほうがよい]。注意が必要です。

近江はこの本の冒頭で[我が国の大学や大学院においては、「論文」執筆の「方法」について、十分な指導が行われてこなかったように思う]と書いています。ビジネス界でも同様でしょう。近江の言うところは、ビジネス人でも得るところがあると思います。

 

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