■ポストモダンの本質:印象派を例にして

1 実在を表現する手段

モダンの考えの基礎はデカルトにあるようです。『方法序説』第2部にある細分化の方法もモダンの基礎になっている考え方でしょう。[私が検討する難問の一つ一つを、出来るだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること]。

成分を分析することで、様々な利益がありました。血液検査は、その典型でしょう。しかしそれで全体が見えるようになるわけではありません。このことはデカルト自身もわかっていたことでした。第5部で、全体を表現できないものの例として絵をあげています。

[画家たちは、立体のいろいろな面すべてを平らな画面に同じようにうまく再現することができないため、その主要な面の一つを選んで]、そこだけを見せると書いています。デカルトにとって絵とは線でした。実在を表現する手段は色ではなくて輪郭線でした。

 

2 印象派というポストモダン

ポストモダンという用語は、内実が不明確な点で好ましくない言葉ですが、しかしモダンでない思考や表現が存在することも確かです。絵画でいえば印象派がそれにあたります。急速に起こった変化でした。画家の吉岡正人が『印象派から20世紀』に書いています。

[印象派の最初の作品『印象・日の出』(1873年)からピカソの『アヴィニヨンの娘たち』(1907年)までわずか34年で、それ以前の絵画の考え方を全く覆すほどの変化が急激におこっている]。こうした急激な変化は[それまでの歴史にはなかったこと]でした。

モネが登場します。[その作品の特徴の一つは輪郭線を用いないことだ。それまでの画家にとって形態を描くための最も重要な要素であった線を否定している]。[純粋に光と色を追うことで形は溶けてゆくようだ]。しかしより一層、実在感が表現されています。

 

3 「見ること」と「作ること」

新しい表現はさらに展開します。[印象派は当時、世間から「造形性の弱さ」を指摘されていた]のですが、[セザンヌにはこの欠点はなかった]。[セザンヌが描こうとしたのはあくまでも色と形であり光では無い]、[アウトラインははっきりしている]のです。

[モネの光に満ちた、そのために消え入りそうにも見えるアウトライン]とは違います。[線という概念は印象派が捨て去った]ものでした。[線の復権]を行ったことが[セザンヌの絵に構築性を与え、同時にある種の不自然さ]を感じさせることになりました。

そのため[セザンヌは線を用い、その線の内側と外側をどう塗ってゆくかということに非常に神経を使うようにな]り、[輪郭線から遠いところは塗り残されたりする]のです。その[画面がキュビスムの作家たちに強いインスピレーションを与え」ました。

印象派の特徴は、どんな点にあるのでしょうか。[通観してみると、「見ること」が構成することなど「作ること」に対し優位であったのは、美術史を通して印象派の時代、一時期だけだった]という点が重要です。「見る」という知覚を重視した表現方法でした。

 

4 リアリティーを生み出すもの

ピカソの『アヴィニヨンの娘たち』によりキュビスムが誕生します。キュビスムは[形態を分解しながら特徴を平面に還元して画面に表現]したものでした。[「ここにカンヴァスがあります。これを強く存在させなさい」、これが絵画というゲーム]になりました。

デカルトは[立体のいろいろな面すべてを平らな画面に同じようにうまく再現]することなどできないと考えました。キュビスムは前提を変えて、分解して特徴を平面に並べたのです。しかしキュビスムのアプローチは、印象派のようには受け入れられませんでした。

もう一度、印象派の方法を学ぶ必要があるように感じます。人の感性を重視するときに、印象派の絵画は刺激的です。繰り返し見ることができる「絵という物」を手がかりにして、「見ること」と「作ること」のバランスを考えることができるかもしれません。

[印象派の画家たちは戸外で制作はしたが全て戸外で描いた作品など殆ど無いのではないか][マネは現場で描かなくても、この程度のリアリティーは十分に出せた]と吉岡は言います。リアリティーを表現するために、何が本質的なものであるのかが問題なのです。

★参照 ⇒ 「形態とはどんなものか:ポストモダンの方法」