■再び形式的基準で文章を判断する試みについて

 

1 形式的基準だけでは効果的でない

前回、杉原厚吉の『理科系のための英作文法』を取り上げて、<文の不自然さを、体で感じる代わりに、形式的基準に基づいて論理的に判断する方法>の試みについて書きました。日本語を書く基準にするには、もう少し詰めが必要だと思います。

日本人が英語を書くときに、こう書いた方が安全だという法則はあるかもしれません。この点の判断は英語力不足のため、私には出来ません。しかし、<規則が、日本語にも英語にも><通用する共通のもの>とある以上、日本語の法則として判断しました。

少なくとも日本語を母語とする人が、「体で感じる」といった感覚を否定することに、意味はなさそうです。助詞の「は」と「が」の使い分けを論理で判断する必要はありません。「文をつなぐ技術」がポイントであるので、その例文をチェックしてみました。

 

2 簡潔な文章構造が必要

杉原は文章を読み進めるとき、<話の筋道をわかりやすくするために><道標が必要だ>…と言います。例示されたのが、<[A]。一方、[B]。[C]とはいうものの、とにかく、[D]。したがって、[E]。>…でした。こうした文のつながりが判りやすいでしょうか。

(1) <[A]。一方、[B]>ですから、[A]と[B]が違うものかもしれません。(2) そのあと、<しかしよく考えてみると>、<とは言うものの>…と内容が反転します。(3) 最後に<実は>…という結論が来ます。以上は、結論に向けてシンプルに進む構造とは違います。

何だか、「違うけれども、同じです」といわれたような感じです。以前、[中井久夫の文書論・マニュアル論]に書いたように、ビジネス文に起承転結の形式はなじみません。文章が簡潔な構造になっていた方がよいのです。自説がすっと判る形式で書くべきです。

 

3 自説中心で記述する

文章を簡潔な構造にするためには、結論に向けて紆余曲折は不要です。異見や反論を先取りする必要などありません。「よく考えてみると」とか「とは言うものの」というつなぎ方はやめるべきでしょう。余計な言及をせず、よく考えた結果だけを示せば十分です。

<[A]は…。[B]も…。ともに[C]である。ちがうのは[D]である。>のように、同じ点を示し、それが原則であり、それに対して例外があります…と示すほうがわかりやすいでしょう。要約を作るとき、元の文章の構造がそのまま要約の骨子になる形式がよいのです。

よく考えた結論が自説になるはずですから、ビジネス文書は自説中心で書くべきだということになります。こうした大きな構造の作り方がずれてしまうと、その他の小さなルールが光っていても、全体として簡潔・的確な文章にはならない…ということです。

 

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