■コラムの構成について:『「編集手帳」の文章術』から

 

1 名文家の自戒ルール

読売新聞「編集手帳」の文章は飛びぬけています。誰が書いているのか…と思っているうちに、文春新書から竹内政明の『名文どろぼう』が出され、『名セリフどろぼう』が出されました。3冊目が待望の文章術の本、『「編集手帳」の文章術』でした。

最初の章に「文章十戒」が示されています。第一戒が、文末に「…だ」を使わないことです。たしかに…と思うのですが、しかし、その理由はどんなところにあるのでしょうか。竹内政明は、自分なりの名文の定義を提示して、その理由を示します。

名文の定義は他人によって様々でしょうが、<声に出して読んだ時に呼吸が乱れない文章のこと>と私は理解しています。センテンスとセンテンスを穏やかにつなぐ「…である」に比べて、「…だ」には音読するとブツッ、ブツッと調べを裁ち切るところがあり、どうも用いる気になれません。

第二戒は、接続詞に頼らないことです。<私は接続詞を警戒しています。中でも逆接の接続詞、「だが」と「しかし」には常時監視を怠っていません>。接続詞は、文章の中に仕切りを作ってしまうためです。接続詞があると余韻が消えてしまう副作用もあります。

 

2 理想的なコラムの実例

編集手帳は458文字で書かれています。この長さで、すばらしいコラムが書けるのですね。驚きます。もし実例を知りたい人は、56ページにある2009年11月11日の「編集手帳」をお読みください。まだ筆者を知らない時に読んで、ずっと印象に残っています。

本人もよく書けていると思っているはずです。<私の考えるコラムの理想型を、ここにまとめておきましょう>と言いながら、<理想どおりに仕上がるのは100本に1本もありません>と書いたあとに、このコラムが紹介されています。

森繁久彌の役者魂と情にもろい心を「屋根の上のヴァイオリン弾き」九州公演に来ていた盲目の少女との挿話に一筆書きします。<山すそに咲いた一輪の露草>にすぎないこの話を<いまは小さな青い花の記憶を胸に映し、亡き人への献花とする>と締めくくります。

 

3 耳で書かれた文章

こうしたコラムは、どういう構成で書かれているのでしょうか。コラムの理想型から考えてみると、構成は、書き出しの「マクラ」、締めくくりの「サゲ」、その間にある本題部分の「アンコ」の三部構成で書くのがよいようです。

マクラは本題と直接関係がなく、多くの人が興味をもつおもしろい内容がよく、魅力的であることが命です。アンコは本題の概要・経緯をいかに簡潔に書くかがポイントとなります。サゲは本題の緊張から解き放つもの、余韻のあるものがよいということです。

こうした文章を書くための秘密の一端が、名文の定義の中にあります。名文を<「声に出して読んでも呼吸が乱れない、すなわち耳で書かれた文章のこと」と解釈しています>と確認してから、コラムを書くときのお手本にしている向田邦子の例を紹介しています。

何年か前、向田さんの遺族から鹿児島市の「かごしま近代文学館」に遺品の録音テープが寄贈されました。短編小説の草稿を自身で音読したもので、一字一句を確かめながら読む声の合間に、なにかを書き込んだり、筆記用具を置いたりする音が入っているといいます。おそらくは仕事部屋でひとり、書き終えたばかりの原稿を耳で聴きながら推敲していたのでしょう。

 

 

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