■日本語の「主題」について 1/2
1 主語・主題・主体
日本語には主語がなくて、主題があるという説があります。私には取るに足らない見解に思えますが、伝統的な文法にも問題があったため、注目されました。現在、主語の定義が多義的になっているようで、わかりにくいお話です。
主語という概念が、述部の主体であるなら問題ありません。しかし、そういう定義もありますという程度ではないかと思います。もはや主語という用語を使う気がなくなります。主述関係の主を「主体」とするなら誤解がないでしょう。
一方、主題という用語も、明確な概念とは言いかねます。主題を表す語に、「は」が接続するとの説明があります。しかし、「は・が」を両方接続できる主体をもつ文の場合、その入れ替えによるニュアンスの違いはあっても、文構造に違いが出るとは思えません。
2 伝統文法の限界:「象は鼻が長い」
おそらく大きな影響を与えたのは、三上章が提示した「象は鼻が長い」という例文だろうと思います。この例文の構造を、伝統文法はきれいに説明できませんでした。これによって、多くの人が伝統文法の弱点を知りました。その意味で、大きな効果がありました。
三上の説明は明確です。「は」がつくのが主題、それ以下の部分は解説だというものです。日本語に主語はなく、したがって、主従関係はないということになります。主述関係がないということは、日本語に形式的な論理性はない…ということにもなります。
「象は…」の文の主語が何になるのか、伝統文法の説明は、明確でありません。「象は」をきれいに説明できずに、立ち止まっています。なぜ、こんなことになっているのでしょうか。それは「象は」が文の骨格をなす必須成分であるという前提に立つからです。
3 日本語の文構造を見直す
もう一度、日本語の文構造から見直す必要があります。主述関係を中核とした文の骨格が必須成分であり、その前に、しばしば「前提」を置く構造をとるのが日本語の文構造です。文構造を「前提」+「必須成分」と見ると、主題というものが明確になります。
主題は、前提の中に含まれます。「いつ・どこで・どんな場合」というTPOのなかに、「どんなテーマ」…も含まれるということです。何かを語る前提として、時間と空間に加えて、場合・テーマの領域設定をするケースが、「象は…」の例文構造になります。
「象は鼻が長い」というときの、「象は」は、その前提領域の設定にあたります。しかし、「は」がつくときだけが主題になるのではありません。テーマが領域設定をして、話の前提になっているならば、主題だと言うことです。
「象ですが、鼻が長いです」という文の「象ですが」も主題だということです。「象は鼻が長い」の文は、前提が「象は」であり、主体が「鼻」、述語が「長い」ということになります。「象ですが」の文も、主述関係は「鼻が長いです」となります。