■体系的網羅的なものの危うさ: ヒルティ『幸福論』 付加価値を生む仕事・文書 1/2

1 優れたものは偶成の作品

ヒルティの『幸福論』にふれたことがありました[ヒルティの幸福論から学ぶ]。岩波文庫版だと3冊からなります。一冊目(第一部)の「仕事の上手な仕方」と「時間のつくり方」の二つの章は必読のものだろうと思います。王道を行く、すばらしい内容です。

「時間のつくり方」の中で、ヒルティが本筋からちょっと離れて、注釈で語っているところに、重要な指摘があります。<世界史における最も優れた文学的産物がみな、純粋に偶成の作品である>…と書いています。

ある種のひらめきともいうべき要素によって、ふと出来上がってしまったものの中に、本当に優れたものがあるという考えです。こうした、偶然によって出来上がった著作に価値を置くのはなぜでしょうか。

    

2 網羅的体系は「偽りの徹底的」

この注釈は、「手早く仕上げられた仕事」という文言につけられています。<手早く仕上げられた仕事が最もよく、また最も効果的だというのが、私の持論である>。ヒルティは、<体系的網羅的なものはたいてい虚偽である>という意見に賛成なのです。

優れたもののリストには、旧約聖書の大部分、コーランの各章などが入ります。<現代の教義学の教科書やマルクスの「資本論」を読む者がいなくなっても、なお読まれるであろう>…と言い切っています。

もう勝負がついていると言うのです。<どの科学でもよいから、二十年前の最も有名な体系的教科書を見れば充分である>。すべてが計画され、意図されたものの範疇で出来上がったものでは、飛びぬけたものになりません。偶然性が飛躍を呼ぶのです。

すべてを網羅的に取り込んだ体系性を持つ書物には、どこか警戒しているようです。見落としや、不確定要素を確定要素に読み替えているところがあるのではないか、という考えのようです。「偽りの徹底的」という言い方までしています。

     

3 抑えがたい気分が付加価値を生む

きらりと光るものは、論理必然にでてくるものではなくて、偶然にでてくるものであるとの考えは、芸術、とくに絵画の世界では、しばしば言われます。大切なのは、偶然うまく行くことをキャッチできるかどうかです。そのための仕事の方法が必要になります。

つねにまず一つの仕事を仕上げてから、次の仕事にかかろうとすることもまた、少なくとも私の経験では、間違っている。これとは反対に、芸術家がしばしば、ひじょうにたくさんの計画や、手を着けた仕事を身のまわりにおいて、そのときどきの抑えがたい気分のままに、あるいはこれに、あるいはあれに、向かっていくのは正しい仕方である。

上記のように、ヒルティは書いています。あるいは、<学問と行動とを交互に行うこと>とも書いています。<気乗りは、仕事を始めれば自然にわいてくるもの>であり、気分が乗って調子が出てきたなら、ぴたりといく偶然も出てくるでしょう。

ヒルティが想定したのは、「精神的な仕事」でした。創造的な仕事、付加価値を生む仕事です。こうした仕事は、規則に沿っていてはできないということです。想定されない価値を付加するためには、「抑えがたい気分」が必要になるということだと思います。

つづく⇒[ヒラメキと構造]

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