■ヒラメキと構造: ヒルティ『幸福論』 付加価値を生む仕事・文書 2/2

 

1 プロトタイプアプローチの手法

前回、ヒルティの言葉をもとに、精神的な仕事が進む過程を考えて見ました。すべてを計画だてて、ゴールまで見通した仕事は、陳腐なものに過ぎないという考え方です。ある程度見通しがついた段階から、どう飛躍させるか、これが問題です。

杉浦和史は、システム作りの際、プロトタイプアプローチによって成果をあげてきました[⇒参照]。ある種のヒラメキがきっかけになって、飛躍することができるようです。コメントをいただきました。重要な指摘です。消えないように、ここに記しておきます。

プロトタイプを作ってブラッシュアップしてゆく方法は、プロトタイプという言葉がなかった時代からやってきました。しかし、残念ながら本筋から離れた偶然の発想ではありません。プロトタイプはある目的を持って作るからです。しかし、全てを確定してからではありません。時間が止まっていない限り、そんなことはできません。ある程度見通しがついた段階で、気になっている部分から手をつけます。気になるもの、それはシナリオに乗っているものではありません。ヒラメキです。アッ、あれは!、コレ、ちょっとやってみよう!というものがきっかけになります。しかし、全体構想は持っている必要があります。発散するからです。

    

2 観念の構造を「見える化」

ヒルティが「抑えがたい気分」といったものは、どんな状態になることなのでしょうか。ある時わかる状態になること、網羅的な体系とは別の、ヒラメキがもとになって生まれる構造です。清水幾太郎は『本はどう読むか』で、「著述家の秘密」を明かしています。

優れた著述家の場合、最初、たくさんの観念が衝突しあったり、牽引し合ったりしながら、一つの大きな全体として存在している。しかし、その段階では、いかに偉大な著述家でも何一つ書くことは出来ない。時が満ちて、それらの観念の間に或る秩序というか、或る構造というか、とにかく、ひとつの形式が生まれるようになると、彼は漸く書き始めることが出来る。いや、書かずにいられなくなる。観念の混沌という全体であったものが、観念の構造という全体に作り変えられて行く。

大きな全体が存在していても、ある秩序ある構造が見えてこないと書けません。観念の構造が見えてきてはじめて、構造を言語化することができるのです。これは、可視化と言わず、「見える化」と言いたい状態です。そのとき、スピードが出てきます。

大部分の人間は、書物や論文を書く場合、相当のスピードで書いているようである。頭の中を飛び交う無数の観念の間に一つの秩序が出来たとなると、そのとたんに、観念の急流のようなものが動き始めて、それを文字に移す手の動きが間に合わないような、そういう気分の中で、私自身、長い間、文章を書いて暮らしてきたし、他の人々の場合も、同じようなものらしい。そうでなければ、文章を貫く一筋の連続性 ―それがあるから、読めるのだ― は生まれようがない。書き上げた文章を念入りに推敲するのは言うまでもないが、書くときは一気に書くのが普通であるように思う。

 

3 よい仕事の進行には緩急がつく

ヒルティが、<手早く仕上げられた仕事が最もよく、また最も効果的だ>と言う理由は、ある種のヒラメキを伴うものの場合、その部分が一気に進むとの考えがあるためでしょう。一気に進んだ部分を持つ仕事が、よい仕事であるということになります。

こうした仕事の仕方のモデルは、すべてに当てはまるわけではないでしょう。それぞれの方法がありますから、少しずつ違いがあるのは当然のことです。しかし、大切なことは、最初からすべてを計画して平坦に進む仕事は、どこか物足りないということです。

想定外のアイデアによって付加価値をつけていく仕事の場合、自然な形で仕事の進行に緩急がつくことになります。最初から進行計画に厳格な枠をはめてしまうと、よい仕事をするのが難しくなる、と言えそうです。

ヒルティの『幸福論』について

 

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