■主語・主体を省略する基準:川端康成『伊豆の踊子』の例文

 

1 五文型でも「実質的なV」が大切

英語の五文型を、ご存知だろうと思います。「S+V」と「S+V+O」とでは、とうぜん文型が違います。しかし、文型があきらかに違うからといって、見たらすぐに分かるとは言いかねます。その人の英語力にもよるでしょう。こんな例があります。

(1) She ceased to smoke. この「to smoke」は smoking と同じ意味で「タバコをやめた」なので、第三文型[S+V+O]です。一方、(2) He stopped to smoke. この「to smoke」は「吸うために立ち止まった」なので、第一文型[S+V(+M)]です。

動詞一語を見つけただけでは不十分であり、「実質的なV」が何になるのかを知ることが大切だということになります。(1)の場合、「ceased」であり、(2)の場合、「stopped to smoke」となります。(1)が述語で、(2)が述部というニュアンスでしょうか。

 

2 主述関係がわかりやすい文

5文型で共通なのが、「S+V」の部分です。英語の場合でも、SとVを見極めることが大切なようです。日本語の場合も、主述関係を見極めることが大切になります。述語・述部が決まり、その主体が確定したら、それで文が成立するかどうか問われます。

日本語の場合、述部が文末にくるのが一般的ですから、文構造を確認する場合、述部を決めて、その主体を確定する方が自然です。<誰が(何が)述部なのですか…?> というときの「誰・何」が主体となります。

[主体+述語・述部]を間違わなかったなら、その文の大意は取れたことになります。逆に言うと、ビジネス文では、この[主体+述語・述部]で間違いが起こらないように記述することが大切だということになります。

 

3 「さよならを言おうとした」のは誰か

川本茂雄が指摘した川端康成の『伊豆の踊り子』の一節について、寺村秀夫が言及しています。サイデンステッカーが「I」と訳した部分が問題になりました。「さよならを言おうとした」のが誰であるか、学生に聞いてみたそうです。以下の部分です。

はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。

学生は、主体者を「踊子」だと答えたそうです。「うなずいて見せた」のは「踊子」ですから、その前の「さよならを言おうとした」のも「踊子」でしょう。「私が縄梯子に捉まろうとして」の「私が」を「私は」に変えた場合、主体は「私」に変わります。

 

4 主体を省略する基準

「は」と「が」のニュアンスの違いを感じ取れるなら、「さよならを言おうとした」のが踊子であると判断できるはずです。しかし、微妙なニュアンスの違いでしょう。ぼんやりしていると、読み間違いをしそうです。ビジネス文とまったく別世界の文章です。

ビジネス文の場合、主述関係が明確になるように、うるさくない程度に主体を明示すべきです。主体を省略する基準は、主述関係のとり間違いが起こらないレベルということになります。文学的価値とは別に、おそらく以下なら、簡単に主述関係がわかるはずです。

私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、踊子はさよならを言おうとした。しかし、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。

川端康成の文章には、どう解釈すべきか迷う箇所がときどきあります。読んでいる途中で、私も気づいたことがありました。しかし、ほとんどの場合、気がつかないまま誤読していた可能性があります。サイデンステッカーのミスを批判する気にはなりません。

 

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