■問題が多かった日本の取扱説明書・操作マニュアル

1 日本製品のマニュアルは拙かった

日本で、取扱説明書や操作マニュアルの品質が問題になったのは、そんなに昔のことではありません。1990年頃まで、日本人はあまり操作マニュアルの品質を意識していなかったように思われます。

日本製品の高い評価を背景に、1980年代には輸出が増え、貿易摩擦が起きました。このとき日本製品の高い評判と裏腹だったのが、マニュアルの評価でした。中井久夫は『清陰星雨』(2002年刊)で、日本の操作マニュアルの拙さについて記しています。

マニュアル作りのまずさ加減は有名で、輸出先からの苦情が多いらしいが、日本で問題にならないのは、日本人は操作を「手で覚え身体で覚える」からだ。

日本人は、実際に操作をしながら、体で操作を覚えていく傾向があるため、操作を文に記して説明することに慣れていなかったようです。アメリカ人ほど上手にマニュアルが作れなかったのです。今もその傾向があるように思います。

 

2 マニュアルを問題視したのは1990年頃

かつての取扱説明書に、今では信じられないほど拙いものがあったことは確かです。その結果、1990年のアメリカの市場調査で、ビデオデッキ所有者の約3分の1は、番組録画用のタイマーをセットしたことがなかった…という結果がでたこともありました。

当時のビデオデッキは、ほとんど日本製だったはずです。高機能でしたが、多くのユーザーはわずかな機能しか使えなかったようです。貿易摩擦の時代でしたので、さすがにマニュアルを何とかしないとまずいという機運が生まれました。

マニュアルのわかりにくさが社会の問題になってきたのはここ数年のことである。その動きに大きくはずみをつけたのは、言語技術研究会と毎日新聞社が主催した「日本のマニュアル」シンポジウム(1988年2月)だった。

上記は、1991年刊の『マニュアルはなぜわかりにくいのか』の「はじめに」で、木下是雄が記したものです。ここでいう「マニュアル」というのは、業務マニュアルではなく、操作マニュアル・取扱説明書のことでした。

 

3 本気で取り組めば成果はあがる

1990年当時、家電中心の取扱説明書が問題になり、各社で対策が立てられていました。そのとき一番成果をあげたのは、松下電器だったろうと思います。松下の家電製品の取扱説明書の質が上がった結果、日本の家電製品のマニュアルの質はかさ上げされました。

こうした成果をもたらしたのは、マニュアルの品質審査を行ったためだろうと思います。松下電器では「取扱説明書は商品の一部である」という認識に立って、品質本部で取扱説明書の審査をしました。

大切な点は、審査の結果次第で出荷ストップの指示ができる権限を、品質本部に与えたことでした。権限の裏づけがあってこそ、成果をあげられたといえます。組織が本気になって取り組めば、マニュアルの質の向上は達成できます。

操作には決まったルールがあるため、それを上手に説明する努力は報われるはずです。マニュアルへの意識が高まった頃に不況となり、マニュアル作成を重視する姿勢は不十分なままに終わりました。社内文書の質向上につながったでしょうに、残念なことでした。

 

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