■変化を前提とすること:福田歓一『近代の政治思想』を参考に

 

1 変わることを前提にする

物事を考えるときに、変化を前提として考えるのか、変化しないと考えるのか…でずいぶん話が違ってきます。業務改革をするとき、現在の延長線上で考えてはいけないのは、常識だろうと思います。まず変わるという前提が必要だと思います。

前提を変えることがビジネスを変えることにつながります。その意味では、業務変革といったほうがよいのかもしれません。いま大きな変化の時代がやってきています。どのくらい大きな変化なのか、それを感じとれそうなお話があります。

ホッブズとロックをご存知でしょう。名前くらいなら、とおっしゃる方が多くいらっしゃいます。私も原典を読んでいるわけではありません。両者の違いがどこにあったのか、わかりやすく書かれているのが福田歓一の『近代の政治思想』です。

 

2 ホッブズとロックの考え方の違い

ホッブズ(1588-1679)は「人間は人間にとって狼である」と述べています。これは富の総量があらかじめ決まっていて、その分配をめぐって争う世界を前提としています。総量が増えない前提で考えると、弱肉強食の世界になってしまいます。

そういう世界では、人間が自律的なルールを形成するのは無理だ、という考えになります。そこで国家権力に絶対的権力を与えるという発想になります。恐ろしい考えです。その根本に、富というものは総量が固定しているという考えがあります。

一方、ロック(1632-1704)の場合、富は、人間の労働によって無限に生み出すことができると考えました。したがって、富というのは、生産の問題だということになります。いかに富を増やすかを問題にすればよく、富の分配をめぐって争う必要がなくなります。

 

3 イギリス経済学の基礎的考え

ロックは、富を増やすには「理性的かつ勤勉な人間」であることが必要だ、と主張します。勤勉とは生産労働に励むということですから、当時は卑しいことだとみなされていました。勤勉と理性とは結びつかないと考えられていた時代に、これを主張しました。

ロックは、伝統的な理性の概念を疑ったのです。神から与えられた理性「生まれつきの観念」があるという考えを批判しています。「すべて感性のうちになかったものは、一つとして知性の中には存在しない」と、感性を重視しています。

そして予測や合理的・計画的な労働投下といった、感性よりもっと高次な人間的資質と結びついたものを理性と考えました。その理性が勤勉と結びつくと、富の総量が拡大できるということになります。この観点を基本にしてイギリスの経済学が発展していきます。

アダム・スミス(1723-1790)の『国富論』は1776年に出されています。経済学の基礎に、こうした考えがあることを確認しておきたいと思います。前提とする考えを大きく変えることによって、経済が発展し始めたという点を意識したいと思います。

 

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