■野口悠紀雄 著『「超」文章法』について

 

1 メッセージの明確化が最重要

一時期、野口悠紀雄の『「超」文章法』がたいへん読まれ、この本についてどう思うか、何度か聞かれたことがあります。最近は、ほとんどなくなっていましたが、そういえば野口さんの本があったよね…とまた聞かれました。

再読して見ました。私のコメントは、以前と同じようなものです。最初と最後がうまく書けていると、本というのは格好がつくものなのだ、と感じました。1章と7章に、この本の価値があると思います。

多くの方がこの本を読んで、最終章である第7章「始めればできる」に影響されて、とにかく始めることが大切なのですね…とおっしゃるので、うんざりしていました。1章がポイントです。それあってこその7章です。

第1章「メッセージこそ重要だ」で主張されていることは、メッセージが明確になった時点で、ほとんど文章は勝負ありだということです。<文章を書く出発点は、メッセージの明確化である>…とあります。

どのくらいメッセージが大切なのか、数字で示しています。<学術的な論文が成功するか否かは、九割以上、適切なメッセージを見出せたかどうかで決まる><エッセイ、評論、解説文などの場合><八割方メッセージの内容に依存している>…とのことです。

9割とか8割が妥当な数字なのか微妙ですが、メッセージが大切なのは言うまでもありません。それでは、よいメッセージをどうやったら作れるのか、そのメッセージをどのように検証したらよいのか、そのあたりが問題になります。

 

2 メッセージの検証法

「どうすればメッセージが見つかるか…?」に対するこの本の答えは、「考え抜くしかない」というものでした。当たり前のように見えますが、一部の方は軽い失望とともに、この1章のことを忘れてしまった気配が濃厚でした。

考え抜くことは面倒です。具体的な方法もありませんから、苦しみます。<私自身も、苦し紛れにいろいろな方法を試みたことがある><しかし、こうした方法でおもしろいテーマが見つかることは、あまりない>…と書いています。

まっとうな考えだと思います。しかし、『「超」整理法』の著者がもっと具体的な方法を示してくれると期待したのかもしれません。この本をお読みの方から、「考え抜くしかない」という点が、この本の最重要メッセージだ…という評価を聞いたことがありません。

考え抜いてメッセージが見つかったなら、これを検証します。(1)ひとことで言えるか、(2)書きたくてたまらないか、という2つの点から評価できるとのことです。この検証法も妥当だと思います。

 

3 いきなり書き始めない

多くの方が、野口『「超」文章法』で飛びついたのが、第7章「始めればできる」でした。パソコンなら始められるのだという主張です。メッセージが出来あがるくらい、そのテーマを詰めていたなら、書き始めたほうがよいでしょう。

逆に言えば、メッセージがないのに書き出してもモノになりません。いきなり書き始めてはいけないのです。ところが、とにかく書き始めれば、何とかなると読んだ人がかなりいました。「とりあえず」始められるパソコンは、便利な機械に見えたはずです。

しかし実際のところ、メッセージを見つけるのに、パソコンはあまり役に立ちません。ふと思いついたときメモするには、紙に手書きするほうが便利でしょう。文章を書く場合、メッセージを見つけてからになります。パソコンの登場は、そのあとが普通です。

7章で<パソコンを用いた書き方は、現代の重要なノウハウだ>…と書いています。その通りでしょう。しかし、その点に焦点を当てて7章を読んでみると、いささか物足りなくなります。

この本のポイントは、1章にあると思います。もっと言えば、あの野口さんが、メッセージが圧倒的に重要で、それを見つけるには考え続けるしかない…と書いている点が興味を引きます。この本をひとことで言えば、これに尽きています。

 

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