■要素の細分化と「見える化」

   

1 問題の要因発見に有効な細分化

物事を分析するときに、要素を細分化していくアプローチは、現在でもしばしば使われています。要素を細分化することの効果には、どんなものがあるでしょうか。おそらく一番基本的なものは、問題に対して関係ある対象であるか否かを決定する機能です。

全体を見るのではなくて、全体の一部分を選択して、その対象を分析するアプローチをとるため、対象の「選択と集中」が可能になります。その結果、この要素は関係がある、これは関係がないと区分できるため、問題の要因が見出しやすくなるということです。

関係のあるものと関係のないものの線引きをするときに、正確な線引きをするためには、細分化を進めていくことになります。関係の有無を判定するためには、対象を「〇×」で決められるところまで細分化すれば、関係の領域が明確になってくるはずです。

      

2 細分化の弱点

一方で、細分化していくアプローチには弱点もあります。全体が見えにくくなるという点です。半分の赤ん坊というのはあり得ないというドラッカーの言葉もありました。組み合わせによる影響も無視できません。細分化すると、見えなくなることがあるのです。

部分を磨き上げれば、全体も磨きがかかると期待するのは当然ではあります。ところが合成の誤謬という言葉で示されるように、個々の期待が積み重なっていくと、かえって全体として別方向に行くことがあるはずです。皮肉な結果が生じることはありえます。

良かれと思って始めたものが、全体として悪い結果を生むことなど、ないと思いたいところです。しかし例えば、個々人の節約が健全であっても、それが拡がり過ぎれば、生産者も販売者も困ります。だから結果から考えていくアプローチも必要になるのです。

     

3 コンセプトからのアプローチ

期待する成果を明確にして、そこからどうすべきかを考えるアプローチは、要素を細分化して分析するアプローチとは大きく違います。こうなりたいという状況を「見える化」することからスタートするのです。存在しないものの姿を、明確にすることになります。

このように現実に先立って、あるべき姿を創造する行為がコンセプト作りの段階です。ここでは分析は出来ません。代わりに統合がなされます。ここはこうだ、この点についてはこうなるように…と、部分が全体に統合され、簡潔で明確な姿が描かれていくのです。

堺屋太一は沖縄返還に際して、沖縄の人口が減らない施策をとるようにと命じられて、沖縄に産業を興すことが必要だと考えました。条件に合う産業は観光業だとターゲットを絞り、「海洋リゾート沖縄」というコンセプトを作ります。そこからスタートしました。

現状を変えるために行動を起こすとき、中核になるのはコンセプトです。ゴールを「見える化」したら、今度は到達までのプロセスを明らかにしていきます。その過程で検証が必要になれば、分析の登場です。分析は行動における補助機能というべきものでしょう。

     

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■業務マニュアルを作成するために:必要となる新たな入門用プログラム

      

1 コロナ以前と様変わりした受講者

新型コロナのまん延によって、ずいぶんビジネスリーダー向けの講座参加者に変化がありました。一番大きな変化があったのは、業務マニュアル講座です。コロナ前には、なぜかベテランの方がたくさんいらっしゃって、驚くべき高水準を要求されました。

10年以上前にスタートしたときには、入門講座がよいということでしたので、講座名も「業務マニュアル入門講座」といったものだったのです。当然のように初級講座という認定でした。5年すぎた頃に、講座名から「入門」が外れたように記憶しています。

講座のレベルも中級講座となりました。しかしコロナ前の2018年から19年頃には、中級以上のベテランがかなり参加くださっていましたから、あれは上級と言ってよかったのではないかと思います。ところが今は、若手中心の入門講座に戻りつつあるようです。

     

2 若手の抜擢と経営側の不安

直接相談を受けるケースを見ても、会社のトップの方がご自分でマニュアルを作りながら、ご相談くださることもありますが、それよりも若手抜擢の話になりがちです。若い優秀な人がいたら、ひとまずリーダーにしてみるという組織がかなり出てきています。

そうして抜擢された方の中には、業務マニュアルのことなど、よくわからないという人が多いことでしょう。業務マニュアルを作った経験があるという人でも、経営にかかわることではなくて、新人向けの業務の手順を書いただけということになりがちです。

若手の抜擢がかなりの会社で見られますが、経営にかかわることを若手に丸投げもできず、困っている様子が見られます。数名の経営側の人とのお話にすぎませんので、雰囲気だけだと思っていただきたいのですが、ひと言で言えば「参ったよ!」です。

     

3 業務の「見える化」からスタート

古い業務マニュアルが役に立たなくなれば、それを使うわけにはいかないでしょう。しかし、いきなり成果の上がる良質の業務マニュアルを新規に作ることなどできない、ということです。まずは基本を知り、実際にマニュアルを作ってみるしかないでしょう。

受講者の中には、会社から行ってきてと言われたという人が、毎回、数名いらっしゃいます。コロナ以降、もはや参加される方々の中心は、初心者レベルと言ってもおかしくありません。そんなことで、講座がまた初期の頃の「入門講座」に戻ることになります。

業務内容はここ数年で、ずいぶん変わってきました。業務形態の変化を反映させるのは当然のことです。同時に業務マニュアルを初めて作る人向けに、あまりぐらつかない作り方を確立できたらと思います。ささやかな数ですが、個別指導では成功例があるのです。

まずは作成領域を選定して、次にその領域で、現在どのように業務を行っているのかを記述することになります。いわゆる業務の「見える化」からスタートするしかありません。叩き台があれば、それを改善していくことは可能です。基本はこういうことになります。

     

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■類推・アナロジーの利用:マネジメントを考えるアプローチ

      

1 マネジメントの勉強

少し前から、マネジメントの勉強をする人が何人か出てきています。マネジメントの本を読みだしているわけではありません。責任のある地位についていて、そのなかで実際に何かを始め、その検証をしながら、マネジメント向き合っているのです。

何かを始めないと、どうやらまずいことになりそうだと考える状況にある方々ですから、ある種の危機感があります。そういうとき、本を読んで勉強するという発想にはなりません。とにかく何かを始めるしかないということになります。

こうして自分でどうしたらよいかを考えて、その効果がいかにないかを身に染みているのです。何でだろうということになります。まずは検証が必要です。成果を上げるために、修正が必要ですから、アイデアも必要になります。勉強するしかないでしょう。

      

2 演繹的な手法は現実的でない

どうやって勉強したらよいのか、苦労しています。マネジメントの本を読んでいては間に合わないという感じがあるのでしょう。それに、いま自分がやろうと思うこととは、ズレがあるように思うという言い方をしていました。役に立たないだろうということです。

何冊か手に取ったのでしょう。実感として、何か違うと感じたようです。たぶん、それは正しいだろうと思います。理論的な話を読んで、そこから何かを考えることは、かなり無理なことです。いわゆる演繹をしようとすることになります。

理論をもとに、自分の問題を考えてみても、そう簡単にはいきません。「これだ!」という考えに到達するのに、役立ちそうにないという判断は現実的なものです。確率的な感覚からすると、厳しいと感じるでしょう。どうすりゃいいの、ということになります。

     

3 類似のケースを見出す手法

自分の問題に対して、これは使えるというケースを見つけてみたらいかがでしょうか。実際にあったケースを探す方が、勉強になりますよということです。そんなお話をしただけですが、わかったという顔つきになります。アプローチが違うのです。

こちらは演繹の手法ではありません。理論をもとに、当てはめるというアプローチは、ある種の客観性のある、一見王道を行く方法に見えます。しかしマネジメントの理論というのは、様々な条件を前提としているはずです。その条件が明確なわけではありません。

類似のケース見つけて、それを活かそうというのは、類推の手法です。アナロジーと言われています。「こういうとき、こうして打開した」というケースを、自分の問題に当てはめて考えるということです。補助線を見つけるということかもしれません。

類似のケースを見つけることに集中していると、一見似ていないケースに、類似のケースを見出すことがしばしば起こります。類推の方法は、実際的です。具体的に成果の上がる考えが出て来るなら、それが正しいということになります。成果に直結しているのです。

    

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■ドラッカーの文章の書き方:『知の巨人 ドラッカー自伝』から

      

1 参考になるドラッカーの執筆方法

何とか締め切りまでにテキストを提出しました。毎回、かなりの改定をするので、それなりに苦労しています。今回は、全面的な見直しですので、一度完全に作り直してから、前のものとのすり合わせをすることになりました。全体的な統一性を持たせるためです。

新たなテキストに、いままでのテキストの内容を組み込んでいく作業になりました。今回は、まずまずの出来かなという気持ちもありますが、講義をやってみないことにはわかりません。それにしても、効率的とは到底言えない方法でテキストを作りました。

そういえば、と思い出します。『知の巨人 ドラッカー自伝』にドラッカーの執筆方法が書かれていたはずです。確認してみると、最初の部分にありました。ドラッカーの方法をそのまま採用することは無理だと思います。しかし参考になりそうです。

     

2 手書きで全体像を描くのが始まり

ドラッカーは亡くなる2005年2月に、日経新聞の「私の履歴書」に登場しています。6回の「合計十時間以上」のインタビューをもとに、訳者の牧野洋が「インタビューでのこぼれ話や背景説明などを盛り込んだ解説を加え」て本になりました(pp..12-15)。

ドラッカーは[長年の経験からかなりのスピードで原稿を仕上げる技術を身につけている]と語っています。[まず手書きで全体像を描き、それをもとに口述で考えをテープに録音する。次にタイプライターで初稿を書く]という方法です(p.24)。

[通常は初稿と第二稿は捨て、第三稿で完成。要は、第三稿まで手書き、口述、タイプの繰り返しだ。これが一番速い]とのこと(p.24)。解説に[口述で自分の考えを詳細にテープに録音]し、アシスタントに[タイプで打ち出してもら]うとあります(p.33)。

      

3 書き直すうちに結論が変わる

ドラッカーの執筆法で注目すべきことは、最初に全体像を作ること、それをもとに「手書き・口述・タイプ」と、執筆の手段を変えながら、何度も書き直すことです。解説者が言うように[何度も書き直すことで自分の考えの完成度が高まる](p.33)ように見えます。

ドラッカーの語るところによると、[私の場合、原稿を書き直すにつれて、結論がいつも当初とは違ったものになる]とのこと(p.33)。全体の構想があって、そこにいくつもの思いつきが加わっていき、その後、やっと初稿で考えが「見える化」されます。

自分の考えが見えるようになると、それを基礎にして考えが洗練されていく…ということなのかもしれません。その結果、結論が違ったものになる可能性はあるでしょう。しかし、いつも初稿と違ったものになるというのは、かなり異色な感じがします。

ドラッカーの執筆法は、結論が見えるまで書かないというエマニュエル・トッドの方法とは対照的なものです。私たちは、たいていドラッカーとトッドの間のどこかに位置していて、どっちか寄りになります。私は、ドラッカー寄りだと改めて思いました。

      

▼参考ブログ: 思考と執筆:『エマニュエル・トッドの思考地図』から

  

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知の巨人ドラッカー自伝 ピーター F.ドラッカー

     

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■日本語の言葉についての判別方法:三上章『現代語法序説』を参考に

     

1 接尾辞「サ」で形容詞を判別

三上章の『現代語法序説』はもはや歴史的な本といってよいかもしれません。刺激的な日本語文法の本です。三上は「九品詞表」を掲げ、「主要語」と「副用語」を区分し、さらに活用の有無により「名詞・代名詞」「動詞・形容詞」を区分しています(p.6)。

ここに[形容動詞はもはや形容詞である]と注記されていました。第一章「私の品詞分け」には[語幹に当たる部分に接尾辞「サ」がつけられるもの]を形容詞とするとあります(p.42)。「黒い⇒黒さ」「静か⇒静かさ」のように、「さ」をつけることは可能です。

しかし「黒い」は形容詞であり、「黒さ」は名詞でしょう。「静か」は「静か・です/静か・だ」と言えますから、体言です。「静かさ」は名詞相当語でしょう。これは「きれい」の場合も同様です。「きれい」は体言、「きれいさ」は名詞相当語になります。

     

2 実態とのズレ

「黒い」も「美しい」もある帯域の状態を示した言葉です。程度を表す「とても/すこし/かなり」などの言葉を、前につけることが出来ます。「黒さ」「静かさ」の場合、帯域ではなくて、ある固定された状態を示しますから、程度を加えることはできません。

小松英雄は『日本語はなぜ変化するか』で、「静か」から生み出された2つの言葉である「静かに(副詞)」と「静かな(連体詞)」をセットとしていました。このことからすると「静かさ」の場合、名詞相当語というよりも名詞と言ってよいのかもしれません。

「走る」は動詞、「走り」を名詞とするのと同様です。ここでは主体になれる言葉を名詞と呼んでいます。「走りが・違う」とか、「黒さが・目立つ」、「静かさが・際立ちます」と言える言葉です。三上の形容詞概念には、実体とのズレがあるように思います。

     

3 文末・主体との関連付けが必要

言葉をセットで考えるとすると、「静か」に対して「静かさ」「静かな」「静かに」がセットになるでしょう。一方、「黒い」「黒さ」、あるいは「美しい」「美しさ」が対になり、「走る」「走り」、あるいは「動く」「動き」が対になっていると言えます。

「幸せ」や「平和」の場合、「幸せな/幸せに」「平和な/平和に」というセットが考えられるでしょう。一方、「幸せさ」「平和さ」という言い方は、あまりしません。「幸せが・大切」「平和が・大切」のように名詞という意識があるからだろうと思います。

「さ」という言葉がつくのか、つかないのかで、形容詞であることを判別するのは、個別で見ると無理があるのです。さらに三上の場合、活用の有無の判別法も明確にしていません。文末や主体と関連付けた判別法でないと、安定性の点で問題を生むことになります。

文末の形式「です・ます・である」のつき方で判別するか、主体となる言葉に「は・が」を付けられるか否かで判別するのが王道ということです。あるいは言葉のセットを見つけることがポイントになります。三上のいう形容詞概念は、実際には使えないのです。

   

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■生成AIの技術進歩と人間の役割:自分の頭を使うことが求められる時代

      

1 生成AIの利用が前提の時代

読売新聞オンラインに面白い記事(3月6日付)がありました。「中学1年生250人の半数超、理科の課題で同じ間違い」というものです。課題に対して、生成AIの「誤答」を書き写したとのことでした。すでに起こった未来と言えるかもしれません。

20歳前後の教え子たちは、課題やレポートに生成AIを利用することは、あまりないように思います。チャットGPTが公開され利用できるようになったのが2022年の11月とのことです。リーダーの方々から質問をいただくようになったのは昨年8月頃からでした。

報道にあった中学生たちは、スマートフォンを利用するようになって、まっ先に生成AIを利用してみたのかもしれません。多くの生徒が当然のように利用しています。このまま急速な進歩が続いていけば、生成AIの利用が前提の時代になることでしょう。

      

2 機械化に匹敵するインパクト

AIの技術が進歩すれば、文章で答えを出してくれるようになるのですから、画期的なことです。それまで人間が手足を使って働いていたものが、機械を使ってより高度な作業が出来るようになったことと比べても、決して小さくないインパクトになります。

歴史的に見ると、人間は機械をずっと良きものと認識してきたわけではありません。しかし上手に利用することを考えることによって、経済成長がはじまります。機械を味方につけたということです。生成AIに対しても味方につける方法が必要になるでしょう。

機械を使いこなすために、機械を使うスキルの習得が必要になりました。さらに機械を利用してもらうためにはニーズを探って、使いやすい機械を開発することが求められるようになります。生成AIも、その方向に進んでいく可能性が高いでしょう。

      

3 創造性・哲学が求められる時代

生成AIを使う場合に、機械を使うスキルに該当するものとは、どんなものになるのか、まだよくはわかりません。しかし基礎になるものは人間の読解力、文章の分析能力になることは間違いないでしょう。人間が生成したAIの文章を検証できなくては困ります。

先の記事で専門家が、「医学的な情報についてAIを妄信することは、現時点では非常に危険」と指摘していました。生命や健康にかかわることは、まだリスクがありすぎます。その点では、中学生が課題に使って失敗するのは、まだましなことでした。

生成AIは、定型的なこと、正解があること、それが検証できること、こうした条件に適った分野から優先的に利用されていくようになるはずです。これとは逆に、創造性があって、価値観が絡んで評価が分かれるものの利用は限定されるものとみられます。

どうやら現在主張されていることと、あまり変わらないのかもしれません。AIが広く利用される時代でも、創造性を発揮せよ、哲学をもて…ということになるということです。いっそう自分の頭を使うことが求められる時代になるだろう、という予感がします。

       

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■国語の問題:最重要視されるべき基礎的理解

     

1 「倭の奴国」「倭国王」「倭国」の「倭」

ある時、これは国語の問題だと思うことがあります。いわゆる一番基礎にある読み方のところで違いが出ていると感じることがあるのです。いったん適切だと思える読み方が提示されてしまうと、基礎にかかわるところだけに決定的な違いを感じることになります。

上田正昭『私の日本古代史』(上下)は「第一人者が展望する決定版通史」とうたわれた本です。いま、少しずつ読んでいます。一般向けの本ですから、丁寧に読めば、わからないことはありません。われわれでも日本史の専門家の考えの一端がわかるはずです。

上田は『漢書』地理志、『魏書』東夷伝に対して、『後漢書』東夷伝における記述の中に[独自の伝承として注目すべき]点があることを指摘しています(上 p.98)。そこにある「倭の奴国」「倭国王」「倭国」という記述をどう解釈するかが問題になりそうです。

     

2 「倭国王」の解釈

上田は[「倭の奴国」「倭国王」「倭国」はいずれも、北九州を中心とするものであろう](上 p.98)と推定しています。この本は2012年に出されたものです。1980年に書かれた宮﨑市定の「記紀をどう読むか」は無視された形になっています。

宮﨑は東洋史の専門家ですから、日本史を専門とする学者ではありません。しかし日本史は東洋史に含まれます。あえて無視する理由があるのかどうか、内容から見ていくのがよさそうです。上田の推定は正しいのでしょうか。宮﨑の見解と違っているのです。

宮﨑は「倭国王」という言い方をもって[倭人の間に統一政権が成立したことを示すもの]と解釈しています。[同じ東夷伝の前文]で[大倭王の存在を伝えている](『宮﨑市定全集21』p.261)からです。ここで何が問題になっているのでしょうか。

     

3 称号と尊称の違い

宮﨑は「倭の大王」と「大倭王」の違いを言います。1978年の「天皇なる称号の由来について」で、[「大王」と言っても、その本質は単なる王なのであって、王の外に大王があるわけではない]点を指摘しています(『宮﨑市定全集21』p.273)。

王の中の王を示す場合、[中国では大の字を国号の上に冠せられて大倭王と称するのが例で、これならば正式に称号としても通用する]ことになります(全集21 p.261)。「倭国王」を「大倭王」としている以上、倭は「北九州を中心とするもの」ではないでしょう。

[「倭奴国」は、倭の奴国、すなわち三十許りの国の中の一国]であり、その後、[倭国王という称号が現れる。これは倭人全体を代表した名]ということです(全集21 p.246)。言葉の使い方は慣習であり文化ですから、簡単にひっくり返りません。

大王は称号ではなくて、尊称と考えられます。閻魔大王は閻魔王の尊称ということです。漢文のルールに沿って考えると、決定的な違いが出てきます。国語の問題だと感じさせられる事例です。通説がどうであれ、基礎的な理解が一番重視されるべきでしょう。

     

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■言葉を対・セットの発想で考える:小松英雄『日本語はなぜ変化するか』から

       

1 やっかいな品詞分解

品詞分解というものを、かつては国語の時間に行っていました。もはや、どんなことをするかも知らない人がいます。日本語をきっちり品詞で説明することは難しいようです。小松英雄は『日本語はなぜ変化するか』の補説で、品詞分解に言及しています。

[現代語のアリマス/キマスに対応する否定表現はアリマセン/キマセンである。マスは肯定、マセンはその否定であるが、この簡単な否定表現を品詞分解にかけると、厄介なことになる](p.257)というのです。「アリ・マセン」の「マセン」が問題になります。

「アリ・マス」の[マスが助動詞マスの終止形なら、マセンのマセはその未然形で、ンは未然形に後接する助動詞の終止形でなければならないが、口語文法の助動詞一覧表に助動詞ンはない]。これを一言で言えば、マセンを品詞分解できないということです。

      

2 意識されることのない品詞概念

小松は、[アリマセンを区切って発音すればアリマ/センになる。文法の単位が自然な発話と食い違っているなら、文法を修正する必要がある]と記しています。「アリ/マセン」でなくて、「アリマ/セン」のほうが自然だろうということでした。

しかし、「あります/ありません」を分解しないで、まとまったものと認識する方がより自然でしょう。「あります/ありません」は、「ある/ない」の丁寧な言い方だということです。同じように、「いる/いない」と「います/いません」が対応します。

日本語の場合、品詞を意識することがほとんどありません。「ある」は動詞、「ない」は形容詞になるのでしょう。しかし品詞の違いを意識することはほとんどありません。一方、「ある」と「ない」が対になっている点は、意識されていることです。

     

3 対・セットの発想

小松は形容動詞に関連するところで、[形容動詞を設ける立場にとって致命的なのは、終止形とされるシズカダが、基幹形として機能していないこと]だと指摘します。[辞書の見出しはシズカであるし、それが基幹形でもないから活用語ではない]のです(p.262)。

[ダは<これは鉛筆だ>のダとして無理なく説明できる]のですから、形容動詞は成り立ちません。小松は別解を提示します。「静かなる」という言い方が消えて「静かな」になったのは[シズカニ/シズカナというセットが形成されたからである]との見解です。

「静かに」は[動詞を修飾するだけであるから副詞と認めるのが妥当である]、一方の「静かな」は[体言を修飾するだけであるから連体詞と認めるのが妥当]でしょう(以上、p.262)。体言のシズカから、副詞シズカニ、連体詞シズカナが形成されたのです。

小松の見解が自然に感じるのは、対・セットの発想があるからでしょう。私たちは「ある・ない」「いる・いない」のセットを意識しながら言葉を運用しています。「静かに・静かな」も活用形の違う言葉としてでなく、セットとして運用しているはずです。

     

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■アップルに関する本で一番のおすすめ:『ジョナサン・アイブ』

      

1 アップルの成功事例

多くの本や記事でアップルの成功事例が取り上げられています。あまりに巨大な組織ですから、そう簡単にまねできるものではないでしょう。しかし知らないうちに、それらを例にして、自分たちのビジネスについて語っていることがあります。

アップルの成功は、それだけインパクトがあるものです。ところが思いのほかアップルに関する本が読まれていません。話をしてみると、短い記事や本で取り上げられている事例を知っているだけのことがあります。これは意外なことでした。

私自身、ごく一部の本しか読んでいません。いくつか読んだ本の中で、これは良いと思ったのはリーアンダー・ケイニーの『ジョナサン・アイブ』です。スティーブ・ジョブズのことも、かえってこの本からのほうが見えてくることがあります。

     

2 手で描くことが基礎

アップルのデザインを手がけた中心人物がジョナサン・アイブでした。「父は腕のいい職人だった」「クリスマス休暇中の誰もいない大学の工房で、一日中僕が思い描いたものを作る手伝いをしてくれるのが父のクリスマスプレゼントだった」と振り返ります(p.27)。

このとき父の[マイクは一つだけ条件を出した。作りたいものを手で描くこと]です(p.27)。[マイクは経験的な教育(製造とテスト)と、直感的なデザイン教育(とりあえずやってみて、その過程で手直しを加えていく)の組み合わせを強く提唱していた](p.28)。

これがアイブの基本姿勢につながっています。さらに[デザイナー以外の人たちにアイデアを伝えること]も[ジョニーにはそれが出来ました](p.31)。ジョニーとはアイブのことです。アイブは自分のデザインのコンセプトをわかる表現にすることが出来ました。

     

3 もっといい製品を作ること

ニュートンというPDAについて[「日常生活の中でどう使ったらいいかわからないことが問題だった」とジョニーは言う。「具体的なストーリーを提示できていなかったんだ」](p.113)。コンセプトとストーリーの両方を表現することを意識していたのです。

[ジョニーは最初のデザインから2週間で模型を作り上げ、周囲を驚かせる](p.115)という仕事の速さも持っていました。アイブは、[スティーブが、僕らの目標は金儲けではなく、偉大な製品を作ることだと宣言した](p.147)ことに共感を持ちます。

ジョブズの方も後年、[僕に精神的なパートナーがいるとしたら、それはジョニーだな]と語ることになりました。クリエイティブな面での共感です。ジョブズは後継CEOにはティム・クックを選びました。[クックは電車を時間通りに走らせる]からです(p.369)。

巨大になった組織をドライブするのはクックでしょう。しかし倒産の危機にあった会社を再生させるとき、ジョブズはお金儲けに焦点を当てずに、『もっといい製品を作るんだ』と考えました。アイブは共感をもって語っています(p.370)。読む価値のある本です。

   

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■文章チェックの意義とアプローチ

     

1 AI化によるビジネスの変化

文章チェック講座を今月19日に行います。文章のチェックが大切だと考える人たちが増えてきました。今後も、この流れは変わらないだろうと思います。ビジネスでの情報の流れは文書によってなされていましたから、もともと重要性は高かったのです。

文書がデジタル化されるようになって、やり取りがスピード化され、文書量が拡大していました。今度は、単純な文書作成はAIによってなされるようになるでしょう。そうなると、文章をチェックする人に高い水準が要求されるようになってきます。

かつて肉体労働といわれた作業が、機械にとってかわられるようになってきました。人が不要になったわけではありません。機械をコントロールする人が必要になりますし、それ以上に機械を作る人が不可欠になりました。今度は、文書が対象になります。

      

2 分析的に読むことが基礎

文章を書くことと読むことは、両輪といってよいものです。しかしどちらが先行するかと言えば、読むことになります。読めなくては書けるようになりません。文章を読むことを通じて、書き方を学ぶということです。読み方が問われるということになります。

文章を分析することが必要です。どうすれば分析できるのか考えてみれば、いくつかのことが思いつくことでしょう。例えば、正確な意味が取れなくては、分析などできません。では、どうすれば正確な意味が取れるのでしょうか。方法が必要です。

日本語の文章の仕組みがどうなっていて、その仕組みから考えて、ここの意味は、こうなるという風に文章を分析的に読むことは自然な読みではありません。訓練の必要があります。意識して分析的に読まない限り、なかなか水準が上がらないということです。

     

3 表現・形式から推定するアプローチ

日本語では、どういう風に言葉が組み立てられているのか、もう一度考える必要があります。こうしたアプローチが必要になるのは、当然のことながら、内容が問題だからです。内容を正確に読むことによって、その価値を適切に評価することが求められます。

ビジネスなら内容勝負です。このとき文章表現、文章形式から内容を推定していくアプローチが使えます。こうした表現・形式は、どんな意識をもって書かれたのか、読めばピンと来るようにすることが、このアプローチの狙いと言ってよいでしょう。

ピンときたことがヒントになって、そのつもりで読んでみると、ちょっと待てよという内容本位のことが見えてくることがあるということです。どうもおかしい、何かが足らないといった感覚があれば、おかしいところ、足らないところが見つけやすくなるでしょう。

文章を書いた人の意識を分析することによって、その意図が見えてくる、それが王道を行くものであるならば、期待しながら読んでいくことが出来ます。あるいは修正点が見つけやすくなるでしょう。こうしたことが出来るリーダーが必要になるということです。

      

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