■現代の文章:日本語文法講義 第21回 「マテジウスの理論と日本語」

(2022年6月16日)

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1 時間の経過と論理性

ここしばらく、展覧会の手伝いをしていました。画家にとっても、おそらく最後の大きな個展になります。一日来てもらえれば十分だという話でしたが、実際のところ、ほとんど何も準備が進んでいなくて、何日も出かけることになりました。いささか無理をすることになったという次第です。

絵の世界は、文章の世界と大きく違います。これは養老孟司が語ったそうですが(久石譲『感動をつくれますか?』:pp..27-28)、絵の世界には時間軸がないということです。映像でも、文章でも、時間の経過があります。絵の場合、ぱっと見て、それで全体像が示されますから、時間軸のない世界です。

時間軸のない世界は、センスを鍛えるのにきわめて大切な領域といえます。全体をいきなり見て判断できますし、比較も容易です。見えるものがあるということは強力な武器になります。時間軸がなくなると論理が後退して、感覚が正面に出てくることになるのです。

私たちは経験をするとき、ある時、ある場所でという前提条件が設定されます。私たちが生きている限り、絵の世界とは違って、空間軸だけでなく時間軸の中にいるのは不可避なことです。時間軸と空間軸という経験に先立つ条件のなかで、私たちは生きています。

あることが起こり、続いてあることが起こる場合、両者の関係が問われることも出てくるでしょう。時間を隔てたものの関係性が問われる場面があるということです。しかし空間だけの世界なら、その世界を構成する要素を見出し、そのバランスを感じ取ることだけでも、全体像の把握が可能になるのでした。

しかし時間の経過が不可欠の世界では、感覚だけではどうにもなりません。養老孟司が言うように、[時間の経過のうえで成り立っているものは、論理的構造を持っている](『感動をつくれますか?』:p.28)ということになります。

論理構造を持っているということは、つねに論理的だということではありません。論理だけでなく、感情も入り込みます。けれども、そこには論理が存在する場所があるのです。時間軸が入り込むと、論理が問われる場面が出てくることになるでしょう。

加藤徹が「本当は危ない『論語』」で[近代的な文章は、それだけを黙読して完全に理解できる](p.149)ものであると記しています。ここでは文章の意味内容を読む側が解釈できて、それが一つの意味内容に収斂していく形式の文章だということでした。

ここでも、論理を問題にしているわけではありません。事実がわかるように記し、このときの気持ちはどうだったのかを記せば、たいてい話は理解できます。これだけでは論理性があるとは言えませんが、[黙読して完全に理解できる]ことにはなるはずです。

「こういうことがありました。そのとき、こんな様子でした。私はこう思いました」。こういう形式の文章であるならば、わたしたちはたいていの内容を理解することができます。しかし論理的な文章とは言えそうにありません。

何かが提示され、それに関して、どうであるかを示されたなら、多くの場合、話は通じます。気持ちはよくわかるのです。日常生活で、わたしたちはそれほど論理的な話をしているわけではありません。このあたりの事情を谷崎潤一郎が記しています。

▼ここに困難を感ずるのは、西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述であります。これはその事柄の性質上、緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書くようにしなければならない。然るに日本語の文章では、どうしてもうまく行き届きかねる憾みがあります。(中略)
この読本で取り扱うのは、専門の学術的な文章でなく、我等が日常眼に触れるところの、一般的、実用的な文章であります (谷崎潤一郎『文章読本』 p.58/p.71:中公文庫版)

加藤徹がいう「黙読して完全に理解できる」文章を書くという段階までが、谷崎の『文章読本』の対象ともいえるでしょう。話が通じるなら、理解しあえます。それが日常的な文章です。

これとは別に、[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]文章が存在します。それが論理的な文章です。[黙読して完全に理解できる]のに対して、さらに絞り込んだ条件が加わるということになります。

     

        

2 論理的な記述が可能な言語

日本語の散文を確立しようとするとき、目標としたのは、理解できる文章にすることではありません。谷崎が[日本語の文章では、どうしてもうまく行き届きかねる]と記した[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]文章の確立が目標でした。

理解できる文章というのは、いわば前提条件でしかありません。近代的な散文にするためには、論理的な文章という条件と、すでにこの連載でも言及していた言文一致の文体が不可欠になります。言文一致の文章とは、以下の岡田英弘の文章を読めばわかるでしょう。清国からの留学生が驚いたのです。

▼日本では、話しことばをそのまま文字で書きあらわすことが可能であり、文章を読みあげればそのまま、耳で聴いてわかる言葉になることを発見して、新鮮な衝撃を受けた。 p.195 『歴史とはなにか』

『日本語の歴史6』(平凡社ライブラリー)で指摘されていたように、[論理的であるとかないとかという以上の、あまりにも大きなもの](p.188)として言文一致がありました。近代的な文章になるためには、3つの段階があると考えることも可能でしょう。

[1] 理解可能な文章 : 話の内容が一義的にわかること
[2] 言文一致の文章 : 話し言葉が記述できて読んで理解できること
[3] 論理的な文章  : 緻密で正確な内容を明確に記述すること

このうち、[1]は近代以前にも成立していた基礎的な前提条件でした。[2]も1900年頃までには確立したと言えそうです。[3]は、谷崎潤一郎の『文章読本』が書かれた1934年(昭和9年)時点では、まだ難しかったようですが、その後、確立したと考えられます。

佐藤優が『悪魔の勉強術』で以下のように語りました。谷崎が困難だと言っていた[西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述]が、現在では可能になっているということです。

▼シンガポール国立大学とか、中国の精華大学では、国際金融や物理学の授業は英語でやっていますが、それには歴然とした理由があるんです。グローバル化の影響では決してありません。英語のテクニカルタームや概念を、中国語のマンダリン(北京語)に訳せないからです。つまり、知識・情報を土着化できていない。その点、日本語で情報を伝達できる力というのは、日本が誇れる資産であり、長年の努力の成果だということを、再認識すべきですね。 p.66 『悪魔の勉強術』(文春文庫版)

したがって日本語の文法を語るときに、論理的な文章を分析する形式が整っていなくてはなりません。論理的な文章を記せるようにと苦労してきて、それが達成されたのですから、ルール作りの前提にするのは当然のことです。

      

3 河野六郎による「日本語(特質)」

日本語を主題と解説という文構造で把握するというアプローチは、どんな発想に基づいたものだったのでしょうか。こうした考えが洗練され、整備されたのは、おそらく三上章の時代よりも、もう少し後だったように思います。

『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』にある日本語に関する論文は、もともと1988年9月10日に出された「世界言語編」第2巻に所収されたものでした。この中にある河野六郎の「日本語(特質)」はきわめてすぐれた論考です。これを見ていきましょう。

千野栄一は『言語学への開かれた扉』の「近代言語学を築いた人々」の章で、世界の言語学者を10人選びました。その一人に河野六郎をあげ、[世界の言語学界に日本の言語学者と胸をはっていえる数少ない学者の一人である](p.266)と評価しています。

河野は「日本語(特質)」で[主題の提示は、主語-述語の論理的関係とは別の関係である](『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』:p.106)といい、これをマテジウスの「現実的文分節」(FSP)の問題であると指摘しています。

どういうことでしょうか。[それは、論理的関係ではなく、主題(thema)とその説明(rhema)による、心理的な、表現の秩序である](p.106)とのことです。論理的な文章を分析するものではないということになります。

▼何かを言おうとするとき、まず念頭に浮かぶ観念を主題として、これを言葉にしたものがthemaであり、それについて論理的関係の如何を問わず述べたものがrhemaであって、言ってみれば、この場の自然の発露に従った文の構成である。その点、日本語という言語は、論理的構成よりも心理的叙述に適した言語であると言える。 『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』:p.106

河野は、[日本語といえども、文は、ある主題について述べられることがふつうであり、その主題を示す必要がある。その主題を示すのが助詞ハであるが、ハは、主語を示すのではない](p.106)と言います。

その一方、日本語において、[主語は不可欠の要素ではない。そして、必要があれば、補語として助詞ガによって主語を示すことができる]のです。したがって、[日本語の特徴の一つとされるハとガの違いは、このように、主題と主語の違い]ということになります(p.106)。

ずいぶん明確な説明です。ただし[マテジウスの「現実的文分節」(FSP)の問題]というものが、よくわかりません。さいわい、この点を千野栄一が『言語学への開かれた扉』と『外国語上達法』で解説しています。

千野は、『言語学への開かれた扉』の「近代言語学を築いた人々」に、[具眼者ビレーム・マテジウス]を取り上げていました。さらに『外国語上達法』ではもっと具体的な説明をしています。

なお、千野は『外国語上達法』で[神々の饗宴]という項目を立てて、圧倒的に語学のできる神々として「S先生」と「R先生」を登場させていました(p.34)。S先生とは木村彰一、R先生とは河野六郎であると言われています。

『外国語上達法』「5 文法」に[マテジウスの「文の基礎と核の理論」]という項目がありますので、これを見ていきましょう。[チェコの有名な言語学者V・マテジウス]は[1882年に生まれ1945年に死んだ英語・英文学者で、一般言語学者]です(pp..75-76)。

▼現在のことばでいえば「対象言語学」にあたる言語性格学の一般理論を作りあげ、また言語研究における機能主義的取り扱いの重要さを主張したのである。特に、統語論における機能主義的取り扱いにより発見されたのが「文の基礎と核の理論」と呼ばれる理論である。 p.76 『外国語上達法』

ここにいう「文の基礎と核の理論」について、千野は『言語学への開かれた扉』で説明しています。[マテジウスの術語では「発話の基礎と発話の核」、今日の術語では「コメント」と「トピック」、あるいは、「テーマ」と「レーマ」と呼ばれている問題](p.235)であるとのことです。

河野が言及している[マテジウスの「現実的文分節」(FSP)の問題]というのは、[「コメント」と「トピック」、あるいは、「テーマ」と「レーマ」と呼ばれている問題]と言ってよさそうです。

千野は[マテジウスの理論を『若い文献学研究者のための百科事典』(モスクワ、1984年)の中で要約したI・I・コフトゥノーバの説明を引用しています。以下、その引用を孫引きします。

▼「これは、文を言葉の題目を示す部分と、その題目について述べている部分の二つに、意味の上から分析するものである。ことばの発話は、話されたものであろうと書かれたものであろうと、既に知られているもの、話し手により命名されているか、あるいは対話者を目前にあるものから、読者あるいは聴き手にまだ知られていないものへの思考の動きをそこに反映している。話し手の思考は既知のものから離れ、話し手からその既知のものについて述べたいと思うものの方へと移行する。既知のものから未知のものへということ過程は、人間の思考方法のユニバーサルな特質である」。 pp..76-77 『外国語上達法』

[発話の基礎(既知のもの)と発話の核(未知のもの)の違いが]、どういう形で示されているのかを問題とし、[文を分析する場合に][文法的分析のほかに、基礎と核による分析があり、この二つの分析方法の間の関係についても考察を重ねている](p.77)ということです。

      

        

4 マテジウスの理論と日本語

河野六郎の記すものと千野栄一の記すものには、用語の違いがあります。ここで、少し整理しておきましょう。マテジウスの理論の原則は、以下の二つのことでした。

[1] 文は【主題(thema)=テーマ=題目】と【その説明(rhema)=レーマ=解説】からなる。
[2] 思考の流れは、【すでに知られているもの(発話の基礎=既知)】から【まだ知られていないもの(発話の核=未知)】へと流れる。

これらが基本になっています。ただし、これは日本語に限った話ではありません。[人間の思考方法のユニバーサルな特質]だということです。この理論と日本語との関わりが問題になります。

千野は『外国語上達法』で[日本語の「は」と「が」]という項目を立てて、日本語がこのマテジウスの示した問題と、どんな点で関連してくるのかを以下のように記しました。

▼この「文の基礎と核の理論」がわれわれにとって特に興味をひくのは、日本語でこの区別をする手段は、チェコ語のように語順でもなければ、英語のように冠詞や受身構文によるのでもなく、「は」と「が」の区別が似たような区別を担っていることである。 p.77 『外国語上達法』

さらに『言語学への開かれた扉』で、以下のように千野は記しています。

▼近年になってプラハ学派を中心に考察されている functionfal sentence perspective なる理論で、「ハ」と「ガ」の機能に再び関心が集まっているが、他の言語では語順や、冠詞や、受身構文で示されている既知と未知の情報の別が、日本語を含むいくつかの言語では特別な小詞(助詞)で示されているからである。 p.95 『言語学への開かれた扉』

河野六郎が[日本語の特徴の一つとされるハとガの違いは、このように、主題と主語の違い]であると書いていました。これは主題を示すときに接続されるのが助詞「は」であり、主語を示すときに接続されるのが助詞「が」であるということです。

しかし千野の説明をあわせてみると、これだけではなくて、(1) 主題を示すときに接続される助詞「は」によって示されるものは既知の情報であり、(2) 未知の情報を示す場合には、助詞「が」が接続される、ということになるでしょう。

千野は『外国語上達法』で、具体的な例文をあげて説明しています。

「昔あるところに一人の王様がいました」という文の場合、[既知のものがない昔話の始まりのところなので、「王様」という新情報がいきなり出てくる場面である]。[日本語の「王様」は「が」に伴なわれている](p.78)ということになります。

昔話の始まりの場面では、すでに知らている既知情報を基礎にできませんから、[新情報がいきなり出て]きてもおかしくはありません。大切なのは、新情報である「王様」に助詞「が」が接続しているということです。

千野は言います。「その王様には三人の娘がいました」という文が続く場合、[「は」がしのび込んでいて、そのうえ娘は「が」で新情報であることが示される仕組みになっている](p.79)というのです。

すでに登場した「王様」の場合、既知の言葉ですから「王様には」というように「は」が[しのび込んでい]るということになります。一方、新情報である「三人の娘」には「が」が接続しているということになるということでしょう。

[日本語の特徴の一つとされるハとガの違い]について、河野六郎と千野栄一の言う内容を、ここで確認しておきたいと思います。両者の違いを端的に言うと、以下のようになるはずです。

[1] 助詞「は」は、主題を導く助詞であり、「既知」の情報である言葉に接続する。
[2] 助詞「が」は、主語を導く助詞であり、「未知」の情報である言葉に接続する。

示されたものが明確な内容だけに、これが正しいかどうか、検証することはそれほど難しいことではなさそうにもみえます。千野は[「は」と「が」の区別が似たような区別を担っている]と記していました。似ているだけかもしれないのです。

       

5 「は」と「が」の区別と「既知」と「未知」

先に千野が示していた例文を並べて見てみましょう。

【例文】
・昔あるところに一人の王様がいました。
・その王様には三人の娘がいました。

マテジウスの理論では、思考は既知から未知へと流れるというものでした。しかし昔話の始まりに新情報が出てくるのは、おかしなことではありません。かえって自然なことです。ここでは、ストーリーのはじまりに新情報が来る点は問われていません。

日本語の場合、未知の情報のマーク、既知の情報のマークとして助詞の「は」と「が」が使い分けられているという点が問題になっています。一度、登場した情報は新情報ではなくなり、既知になりますから、接続する助詞は「は」になるはずです。

千野の例文では、未知だったときの「王様」の扱いと、既知になったときの「王様」の扱いが、対比されて示されることになりました。新情報であったときの「王様」には「一人の王様が」と、「が」が接続しています。いったん登場したあとでは、「その王様には」と「は」がしのび込んで接続しているのです。

この例文を見る限り、その通りでしょう。しかし、日本語の散文において、必ずそうなるわけではありません。以下の例文を見てください。けして不自然な文章ではありませんが、千野の言う通りにはなっていません。ことごとくその反対になっています。

【例文】
① 1904年3月、その王様はパリ郊外のお城に住んでいました。
② この王様が、あの三人娘の父親でした。
③ 王様にとって三人娘が生きがいのすべてだったのです。

ストーリーのはじめに新情報が示される形式は同様です。①に初出の「その王様」が登場し、新情報に助詞「は」が接続しています。「新情報=未知」に接続する助詞は「が」だったはずです。しかしここでは「既知」に接続するはずの助詞「は」が接続しています。

王様は一度登場していますから、②では既知の情報ということです。既知の情報には助詞「は」が接続するはずでした。ところが既知の情報である「この王様」には、助詞「が」が接続しています。

②で新たに「三人娘」が登場していました。③にもこの「三人娘」が登場します。すでに登場した「三人娘」は既知の情報になるはずです。既知の情報には助詞「は」が接続するはずでしたが、しかし、ここでは「三人娘が」と助詞「が」の接続になっています。

おかしな話です。マテジウスの理論が間違いなのでしょうか。そうではないでしょう。マテジウスの理論に日本語の「は」と「が」を当てはめたのが間違いなのです。簡単な例文を示して、理論の正しさを説明したところで、証明にはなりません。

理論が全く当てはまらない事例が示されたなら、理論の間違いか、理論へのあてはめかたの間違いということになります。千野は[「は」と「が」の区別が似たような区別を担っている]と記していました。似ていると感じることもあるかもしれません。

「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは…」という例文も、同じように説明されてきました。

ストーリーの始まりに新情報=未知の情報が提示され、そこには助詞「が」が接続しています。すでに登場して既知の情報になったら、助詞「は」の接続になっているのです。しかし、こういう例があるというだけです。

日本語は、こんな原理で「は」と「が」を使い分けてはいません。まったくナンセンスな説明でした。既知の情報に「は」、未知の情報に「が」が接続するなどというルールは日本語には存在しません。

[「は」と「が」の区別が似たような区別を担っている]と千野は書いていましたが、似ているとさえ言えないでしょう。逆の例は、いくらでも出てきます。以下の例文は、不自然な文章ではありません。しかし千野の説明とは食い違います。

【例文】
2011年3月11日の午後、おじいさんとおばあさんは仙台のホテルに滞在していました。
おじいさんが玄関を出ようとした時、大きな揺れを感じました。

ここでも既知情報の言葉には「は」、未知情報の言葉には「が」が接続するなどというルールは、あてはまりません。反対に「未知=新情報」である「おじいさんとおばあさん」には「は」が接続し、すでに登場して「既知の情報」になった「おじいさん」には「が」が接続しています。

既知情報と助詞「は」、未知情報と助詞「が」の組合せは成り立つこともありますが、成り立たないこともあるのです。つまりこの原理は成立しません。別の原理があるということになります。

それだけでしょうか。主題に助詞「は」が接続し、主語に助詞「が」が接続するというのは本当なのでしょうか、こちらも検証してみる必要がありそうです。もう一度、先のまとめを見てみましょう。これが違っているということです。

[1] 助詞「は」は、主題を導く助詞であり、「既知」の情報である言葉に接続する。
[2] 助詞「が」は、主語を導く助詞であり、「未知」の情報である言葉に接続する。

ここでいう後半部分は、[1]においても[2]においても成立しないということになります。そうなると前半部分も、本当ですかということになるのです。ここで一区切りしましょう。また行ったり来たりしながら、話を進めていけたらと思います。