■現代の文章:日本語文法講義 第19回 「文末とセンテンスの要素」

(2022年5月28日)

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1 誤訳が多かった学術用語

なかなか定期的に連載を書けずにいます。ありがたいことに、気楽にブログを書く習慣ができていたため、当初のように、きっちり計画を立てようとせずに、もっと気楽に書こうと思うようになりました。行ったり来たりしながら進めていきます。

お読みになる方は、前の文章をすべて確認しているわけではないでしょう。じつは書く方も、忘れてしまっています。一通りの確認はしていますが、重複する部分がいくつか出てくるはずです。その都度、独立して読めるように書けたらと願っています。

問題なのは、英語などの欧米語の文法が確立しているのに、日本語の文法がとうてい標準化などと言える状況にない点です。外国人向けの文法の本もたくさん出版されています。かなり日本語のできる留学生に話を聞いてみると、それらの教材の評価がわかります。

英語を勉強したアジアの学生からすると、日本語を勉強するときに、英文法のように頼りになる文法が日本語にはないということになるようです。じつのところ、他のアジアの言語でも同様でしょうから、特別、日本語についてだけ言う必要はないのかもしれません。

ところが優等生たちの態度は違います。数学の本にしても、日本の教科書を引き写したのですよと率直に語る彼らは、日本語の文法の確立に期待しているのです。まずは日本語でやってほしいと期待しています。おもしろいことに、この点に関して、当然のように言うのです。

前回、岡田英弘の『歴史とはなにか』から引用しました。清朝の留学生たちは、[日本では、話しことばをそのまま文字で書きあらわすことが可能であり、文章を読みあげればそのまま、耳で聴いてわかる言葉になることを発見して、新鮮な衝撃を受けた](p.195)のです。

言語に関する限り、日本が先行しているということは、広く認識されています。しかし本当のところ、日本語における散文の発展状況は、どうだったのでしょうか。あんがい、心もとない状態にあったかもしれません。岡田英弘は、別のところで書いています。

▼地中海・西ヨーロッパ的な歴史観を表す術語を、ドイツ語、英語、フランス語から日本語に翻訳して、何とか言いかえが可能にしなければならない。その場合に、ヤモトコトバでは長たらしくなって不便だから、ヨーロッパ的な観念に漢字の組合せを当てて、同義語だということにする、という作業を大急ぎでやった。
その結果、どうなったか。誤訳だらけになった。漢字・漢語は中国で発達したものだから、それを無視して、あるいは無知の結果、意味内容の違う地中海・西ヨーロッパ世界の歴史の術語にあてはめた。 pp..77-78 『歴史とはなにか』

日本語文法の用語でも、誤訳が起こっていたのだろうと思います。主語・述語という用語について、あれこれ主張する学者はいますし、それは一部で正しいのかもしれません。しかし、もっと根本的な違いがあるのではないかということです。

主語について、あれこれ言うくらいなら、述語をあっさり否定したほうが、すっきりするはずです。英語のS+Vの「V」は述語動詞ですから、例外なくセンテンスには動詞が述語として存在することになります。日本語ではそうなっていません。

日本語の特徴に即して、述語の概念を構築していけばよかったのに、そうはなりませんでした。日本語の述語で、品詞を動詞・形容詞・名詞とするのは、狭義の述語の概念でしょう。それならば同時に、広義の述語の概念を示せたなら、よかったのにと思います。

しかし前回、書いた通り、述語にセンテンスの要としての機能を持たせようとしたら、キーワードを束ねる役割だけを言うのでは不十分です。センテンスの意味を確定すること、意味が確定する時にセンテンスが終了すること、こうした機能を述語に持たせなくてはなりません。そうしてはじめて、述語は実質を伴ったセンテンスの要になります。

述語に不完全・不十分な機能しか持たせないままに、焦点を品詞に当ててしまったなら、読み書きに使えるツールにはなりません。読み書きに使えるツールをもたなくては、日本語文法が役に立つものにならないのです。

       

        

2 述語への言及が少ない理由

初級の日本語文法の本を見ても、述語への言及がわずかしかありません。述語への言及がなされている本を見ても、主語に対する消極的な評価が示されています。しかし述語への疑問がありません。アンバランスなのです。

たとえば吉川武時『日本語文法入門』では、述語という用語を使いながら、「主語」という用語を使いません。どういう説明の仕方をしているのか、見ものでしょう。

▼動作の主体を表すことばは、ほとんどすべての動詞が必要とするものである。したがって、構造文型を考える上からは、これは特に考える必要はない。 p.12 『日本語文法入門』

構造文型というのは、補語と述語からなる「核文」の構造の文型を言うようです。主語を特別視せずに、補語という括りにしようということでしょう。しかし上記の説明は、あまりにひどすぎました。油断したのかもしれません。ナンセンスなロジックだと、すぐに気がつくはずです。

たとえば、英語において主語は[動作の主体を表すことば]にあたるでしょう。主語は[すべての動詞が必要とするもの]です。そうなると、英語で主語について[構造文型を考える上からは、これは特に考える必要はない]ということになるでしょうか。

述語が動詞である場合に、[動作の主体を表すことば]が必要である、ゆえにそれについて[考える必要がない]という論理は成立しません。そもそも述語が動作を表すことばでなくて、状態などを表すことばであったとしても、その主体を表すことばは必要です。

「きれいです」とあったら、何がきれいなのかと思うのは当然のことでしょう。あるいは「担当の先生です」とあったら、誰が担当の先生なのか、気になるのが普通だろうと思います。動作の主体に限るのは、ヘンな話です。

『日本人のための日本語文法入門』で原沢伊都夫は、三上章の「主語廃止論」について触れています。

▼本書では「主語」と呼んでいますが、三上さんは「主語」ではなく、「主格」と呼べと言ったんです。「主語と呼ぶと、欧米語の「主語」を想像するため紛らわしいので、いっそのこと、「主語」という言葉をなくし、「主格」にしたほうがいいというわけなんですね。 p.45 『日本人のための日本語文法入門』

日本人は欧米語の文法を意識しているという前提があるのでしょうか。三上章の『象は鼻が長い』は1960年に発刊されています。日本語の文法を語るときに、「「主語と呼ぶと、欧米語の「主語」を想像する]などということが、現在でも起こるとは思えません。

まだ日本語の文法の基礎さえできていなかった1960年の話を、2012年になっても引きずる必要がなくなったので、原沢は[本書では「主語」と呼んでいます]となったのでしょうか。よくわかりません。

主語について言及するのなら、述語に言及すべきでした。日本語の文法で使う「述語」の概念は、欧米語の「述語」の概念と大きく異なっています。欧米語の「述語」と紛らわしいと感じる人はいないでしょうが、「主語」という用語に異議立てしながら、「述語」という用語への言及がないのは妙なことです。

主語・述語という主述関係を使わずに、日本語文法を構築するのであるなら、それはそれで構いません。実際のところ、庵功雄は『新しい日本語学入門』で以下のように書いていました。

▼三上は日本語の分析において「主語(subject)」及び「主述関係」という概念を廃棄することを主張しました。 p.86 『新しい日本語学入門』(2001年)

庵は1953年に出版された三上の『現代語法序説』からの引用をしたうえで、上記を記しています。三上は[日本語においては主格になんら特別な働きが見られない。したがって主語というのは日本文法にとって有害無益な用語である]と記していました。

さきに引用した吉川武時『日本語文法入門』の文章の根拠は、このあたりにあるのかもしれません。

庵は『新しい日本語学入門』で以下のように言います。[三上は「主語」や「主述関係」に代えてどのような概念を用いたのでしょうか。その概念は主題です。主題というのは、その文で述べたい内容の範囲を定めたものです](p.87)

主題に対して対応するのは、当然、述語ではありません。[文の中で主題以外の部分を解説と言います。解説は主題で示された内容について叙述する部分です](p.87)とあります。「主述-関係」ではなく「主題-解説」という構造で考えるということのようです。

述語という用語が、日本語文法から消えた理由も、こうした考えを受入れる学者が増えているからかもしれません。しかし、これでは日本語の基本的な構造が見えなくなります。ひとまず簡単に記しておきましょう。

述語の概念でも、最低限、その前に置かれたキーワードを束ねる機能を持つといえました。これでは不十分だからこそ、文末の概念を提示したのです。しかし「主題-解説」ではお話になりません。重要な機能が完全に見えなくなってしまうのです。

日本語の構造を、主題を提示して解説をつける構造だと考える場合、日本語のセンテンスの論理性が見えなくなります。主題と解説の間の論理性がゆるくなるのです。日本語が苦労して散文を確立し、それによって論理性を獲得した姿が見えてこなくなります。

三上章の場合、日本語の散文が十分に確立する前の時点での主張でしたから、仕方のない面がありました。さらに言えば、欧米語を意識しすぎたのでしょう。当然、西洋にネタがありました。

しかしおそらく誤解があったのでしょう。いまでも、それが修正されていません。インパクトのある空ぶりだったというのが、私の評価です。この点、また戻ってきます。

    

   

3 センテンスの要素

述語という概念が使われなくなってきたのも、センテンスの構造についての考え方の違いからでした。センテンスの要素をどう考えるかということが、センテンスの構造を決めることになります。

いまある日本語文法の本の内容が、学校文法と大きな違いを見せているのも、文の要素についての考え方に違いがあるからです。学校文法について評価しているわけではありませんし、上記の通り現在の日本語文法についても、評価していません。

なぜか、学者による新しい日本語文法の本の場合、歴史的経緯が抜け落ちている感じがします。日本語の散文が成立したのは、そんなに昔のことではありません。あるとき突然、一気に日本語が近代化したわけではないでしょう。

もう一度、日本語の発展をふりかえってみる必要があります。日本語が清国の留学生にとって驚きだったのは言文一致体が成立していたからでした。その時点でも、まだ日本語の骨組みはきちんと整備されたものになっていません。

この点、『日本語の歴史6』(平凡社ライブラリー)での記述が注目されます。[論理的であるとかないとかという以上の、あまりにも大きなもの](p.188)として言文一致があげられているのです。まずは言文一致が先行しました。

▼言文一致は、もちろん日本語自体の側からの切実な欲求によってみのったものではあるけれども、おそらく日本語がヨーロッパからうけた影響の最大の恩恵というべきものと思われる。 p.188 『日本語の歴史6』(平凡社ライブラリー)

このとき文末の確立が必須の条件でした。文末が確立することで、センテンスが確立しました。そしてセンテンスが確立したからこそ、その骨組みが問われることになったのです。ここまで来てやっと[論理的であるとかないとかという]ことが問われることになりました。

原沢伊都夫の『日本人のための日本語文法入門』を見ると、[主語は重要ではない]という項目があります(p.16)。この項目に、「母が台所で料理を作る」という例文が示されています。ここでの原沢の主張は、以下のようなものです。

▼日本語文法では学校文法のように主語を特別扱いしません。いくつかある成分の中の一つであるという考えです。つまり、「母が」も「台所で」も「料理を」も皆対等な関係で述語と結ばれていると考えるのです。 p.17 『日本人のための日本語文法入門』

「皆対等」とあります。何だか平等を思わせて、すばらしいことのように思えます。しかし、実際には単に[述語と結ばれている]点が同じだけです。皆、述語と対応関係があるということになります。この点が大切であると言っているのにすぎません。

実際、原沢は[皆対等な関係]のはずだった文を構成する成分について、[それぞれの成分は述語との関係において欠くことのできない必須成分とそうではない随意成分とに分かれます](p.22)と記すことになります。

両者の違いの説明でも、「対等」という言葉にふさわしいのか、疑問を感じさせる用語の使い方をするのです。[削除することが出来ない成分が必須成分、削除しても文として成り立つ成分が随意成分である](p.22)とあります。「削除」が判断基準です。

例文「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」をもとにした解説を見ると、原沢の言うところがはっきりするでしょう。曰く、[「ティジュカで」という成分がなくても、文として問題があるとは感じられませんね](p.23)。

一見やさしそうでありながら、ずいぶん強引な誘導です。同じトーンで、[最後に「シキンニョと」を削除してみます](p.23)とあります。[これは、大丈夫ですね。特に違和感は感じません。したがって、「シキンニョと」は随意成分となります](p.24)とのこと。

必須成分は削除できません、随意成分は削除できます、[大丈夫ですね]という確認のみで、どうも理屈はあまりはっきりしません。[皆対等な関係]のはずだったのに、ずいぶん乱暴な話です。話が違う方に、急展開した感があります。

それでは、必須成分と随意成分に分けて考えることによって、何かいいことがあるのでしょうか。[述語と必須成分との組み合わせを文型と呼びました](p.26)と原沢は書いています。どうやら文型を作るために不要な随意成分を削除したということのようです。

メインでない部分を削除して文型を作った結果、英語の5文型のような基本文型ができたのでしょうか。いやはやです。10の文型をあげたうえで、[ここに挙げた文型は基本的なものだけで、すべてではありませんが](pp..30-31)とのこと。基本文型はできなかったのです。

それでは削除された随意成分は、どうなったのでしょうか。そちらへの言及はなされていません。[皆対等な関係]であるということは、[主語を特別扱いしません](p.17)ということだったのでしょう。この点、他の日本語文法の本でも大きな違いはなさそうです。

先にふれた吉川武時『日本語文法入門』でも、主語を特別視せずに、補語という括りにしようという考えに立っています。[補語には必須の補語と随意の補語とがある](p.11)とありますから、ここでは「成分=補語」となるのでしょう。

いずれにしろ学校文法においても、立場の違う日本語文法の本においても、日本語のセンテンスを構成する要素にはいくつかの種類があるということになります。両者を折衷するなら、主語、必須成分(補語)、随意成分(補語)の3種類の成分が候補になるでしょう。

センテンスを構成する要素を考えるとき、対応関係を基準にするならば、要となるのが述語であれ、文末であれ、大きな違いにはならないのかもしれません。用語名をどうするかは別にして、主語と、必須成分、随意成分の3つの成分について検討してみましょう。

     

 

4 文末の一体性

センテンスの要素がある程度、明確になってきたならば、文末の概念をもう少し詰めていけるはずです。原沢伊都夫の『日本人のための日本語文法入門』で示された例文を見てみましょう。

例文「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」を原沢は、必須成分と随意成分に分けていました。「ティジュカで」(随意成分)、「ジョアキンが」(必須成分)、「フェジョンを」(必須成分)、「シキンニョと」(随意成分)となっています。

さらに「ティジュカで」(場所)、「ジョアキンが」(主体)、「フェジョンを」(対象)、「シキンニョと」(相手)と記しているため、3種類に分ける場合、「ジョアキンが」(主体)が切り離されることも、明らかでしょう。

原沢が成分と対応関係を示していますから、それに従う限り、述語となるのは「食べた」以外にありません。以下をご覧ください。
・ティジュカで… 食べた
・ジョアキンが… 食べた
・フェジョンを… 食べた
・シキンニョと… 食べた

これでよいはずです。しかし文末の概念で考えるならば、こうはなりません。以下のようになります。
・ティジュカで… シキンニョと食べた
・ジョアキンが… シキンニョと食べた
・フェジョンを… シキンニョと食べた

助詞「と」がつく場合、いわゆる随意成分にはならずに、文末に吸収されて一体化されます。なぜ、この方がよいのか、具体的な事例でみてみましょう。

「会議で部長が新製品を、会社の存亡にかかわる大切な製品だと言った」という例文を使って、上記のように対応関係を作るとしたら、どうなるでしょうか。例えば、以下のように考えたら、問題がないでしょうか。
・会議で…  言った
・部長が…  言った
・新製品を… 言った
・会社の存亡にかかわる大切な製品だと…言った

対応関係を見ていくと、「新製品を…言った」となるのは、困ります。これは対応していません。修正が必要になります。例えば、以下のように考えたら、どうでしょうか。
・会議で…  言った
・部長が…  言った
・新製品を、会社の存亡にかかわる大切な製品だと… 言った

この場合、最後の部分に無理があると感じるはずです。では、次のように考えるのはどうでしょうか。
・会議で… 会社の存亡にかかわる大切な製品だと言った
・部長が… 会社の存亡にかかわる大切な製品だと言った
・新製品を… 会社の存亡にかかわる大切な製品だと言った

文末の概念は、こちらです。なぜ、こう考える必要があるのでしょうか。これは助詞の問題です。助詞「と」は「+」を表します。「AとBは」と言ったら、「(A+B)は」ということです。

ここでも【「会社の存亡にかかわる大切な製品だ」と「言った」】が、【「会社の存亡にかかわる大切な製品だ」+「言った」】になります。文末として、一体化したのです。

先の例文「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」の文末は、【「シキンニョ」+「食べた」】であると言いました。たんに「食べた」というだけでなくて、それを説明する言葉が一体化して、「シキンニョと一緒に食べた」ことを示します。

すでに目的の「に」が文末と一体化する話をしていました。+の「と」も同じように、文末と一体化するということです。文末で気をつけなくてはいけないのは、この2つが代表的なケースだということになります。

こうした考えに沿うと、センテンスの意味が見えてくる場合があるはずです。例えば、「今日、私は東京駅で佐藤さんに会いました」と「今日、私は東京駅で佐藤さんと会いました」の違いは、助詞「に」と「と」の意味の違いだけではないということになります。

前の「今日、私は東京駅で佐藤さんに会いました」なら、以下のようになります。
・今日… 会いました
・私は… 会いました
・東京駅で… 会いました
・佐藤さんに… 会いました

ところが、後の「今日、私は東京駅で佐藤さんと会いました」は、以下のようになるはずです。
・今日… 佐藤さんと会いました
・私は… 佐藤さんと会いました
・東京駅で… 佐藤さんと会いました

両者のセンテンスの意味の違いは、どうなるのでしょうか。「今日、私は東京駅で佐藤さんに会いました」の場合、「会いました」という事実を示しています。会ったのが偶然なのか、約束してなのかは、わかりません。会ったという事実が大切です。

一方、「今日、私は東京駅で佐藤さんと会いました」の場合、なされたことは「佐藤さんと会いました」になります。当然、「連絡を取って約束して会った」ということでしょう。あえて言いかえれば、「佐藤さんと会うことを実行した」のです。

前者は、会った事実を示し、後者は、約束して会ったことを示しています。2つの例文の場合、助詞「に」と「と」で文構造が変わるということです。

こうした考えに立つため、必須成分と随意成分を含めて、もう一度、概念を明確にする必要があります。文末の概念について、すこし明確になったかもしれません。予定通り、長くなりました。ここで一区切りとします。