■現代の文章:日本語文法講義 第5回

(2022年1月4日)

◆今までの連載 第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回

   

1 論理性の獲得

[1] 漢文と英語の影響

前回、英語の5文型を少しのぞいてみました。日本語で必要になる文法がどんなものか概略を知るために、よい補助線になると思ったためでした。この補助線から何がわかるでしょうか。日本語の文法をつくるときに、どうあるべきか、これが問題です。

英語と日本語ではずいぶん違います。英語の基本事項が日本語にそのままあてはまることなどありません。そんなに簡単にあれだ、これだとは言えないのです。ここで、日本語の文章語の形成について、少し見ておきたいと思います。

現在、わたしたちが使っている日本語の文章が、どんな風にできたのか。これを一筆書きにしているのが岡田英弘『日本史の誕生』のなかにある文章でした。以下の記述があります。

▼日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである。漢字には名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字の間の論理的な関係を示す方法がない。一定の語順さえないのだから、漢文には文法もないのである。このような特異な言語を基礎として、その訓読という方法で日本語の語彙と文体を開発したから、日本語はいつまでも不安定で、論理的な散文の発達が遅れたのである。
 結局、十九世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語、ことに英語を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確立することになった。 (ちくま文庫:pp..329-330)

日本語に特別な影響を与えたのが、漢文と英語であったことが、上記からうかがえます。こうした特徴が現代の日本語の文章に表れているのです。内容を確認しておきましょう。

[1] 日本語の散文は、漢文を基礎にして訓読という方法で語彙と文体を開発してきた
[2] 漢文で使う漢字には、品詞の区分がなく語尾変化がなく論理関係を示す方法がない
[3] 19世紀になるまで日本語では論理的な散文の発達が遅れた
[4] 19世紀以降、文法構造のはっきりした英語を基礎にして現代日本語を開発してきた

論理的な散文を読み書きするためには、文法構造をはっきりさせる必要がありました。なぜでしょうか。論理的な文章にしなくてはならないからです。漢文の訓読によって、日本語は豊かになりましたが、それだけでは不十分でした。

     

     

[2] 簡潔で的確な言葉

明治維新後、日本では論理的な散文をつくるために苦労をしてきました。こうした事情を司馬遼太郎は講演で語っています。講演録「日本の文章を作った人々」において指摘されたことは大切なポイントでした。

▼明治十六年に日本に陸軍大学校ができました。二年後に、ドイツ参謀本部の大秀才のメッケル少佐が招聘されます。
 まずメッケルが言った言葉が、
「軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか」
 というものでした。そのメッケルの言葉を受けて、軍隊における日本語がつくられていくのです。 (『司馬遼太郎全講演[2]』朝日文庫 p.388)

明治16年というのは西暦で言えば1883年ですから、19世紀の終わりです。その頃から日本語を変えていこうとしたのです。言葉というものは変えるのに時間がかかります。したがって、現代の日本語の文章が出来たのも、そんなに昔ではないということです。

岡田英弘の文章にあったように、文法体系を整備することによって、センテンス内の言葉と言葉の関係が明確になります。表現の標準化が進むという言い方もできるでしょう。標準化が進めば、「簡潔で的確」な表現が可能になります。文章表現に簡潔という機能、的確という機能が備われば、文章が論理的になるということです。

    

      

2 「直訳」によって開発する方法

[1] 漢文訓読という方法

漢文の場合、日本語に引き寄せて、訓読という方法を使っていましたから、語彙や文体の影響を受けることは当然の結果だったでしょう。直接的な影響を受けることが継続すれば、そこから日本語化できるものが出てきます。漢文から獲得した語彙、文体はもはや日本語として扱われていきます。

『漢文ひとり学び』で加藤徹は[「語学としての漢文」の立場から客観的に見ると、訓読は、あくまで白文解釈のためのツールである。訓読を読むことは、他人による直訳を読むことだ]と記しています。訓読というのは漢文の日本語訳だということです。だから、こんな言い方をしています。

▼「英文が読める」という意味は、「英語の原文が読める」ということであり、「英語の訳文が読める」ということではない。同様に、「漢文が読める」という意味は、本来「漢文の原文が読める」ということのはずだ。 『漢文ひとり学び』 p.3

英語の訳文であるならば当然、日本語です。訓読したものは直訳した日本語ということですから、直訳した日本語文を読むということです。直訳ですから、漢文の影響をもろに受けることになりました。加藤徹は記しています。

▼訓読は日本人の祖先が編み出した、すぐれた定型的直訳メソッドである。訓読それ自体も、日本文化の切り離せぬ一部として、大きな価値を持つ。筆者も、日本語の漢文訓読調の文体は、大好きだ。 『漢文ひとり学び』 p.3

訓読によって日本語の文体、語彙が発達したというのは、こうしたことを言うのでしょう。漢文から圧倒的な影響を受けたということです。書き言葉の発達が遅れた日本語の場合、漢文から出発せざるを得なかったということでもあります。

岡田英弘が記した[漢文から出発した]という言い方が当てはまります。その際、漢文を日本語化するメソッドがあったため、漢文から語彙と文体を取り入れて、日本語を開発することが出来たということです。

    

      

[2] 英語における論理性の基礎:品詞と構文

では、どうやって英語から日本語の論理的な散文を開発したのでしょうか。漢字が共通する漢文とは違って、アルファベットで表記される英語の何を手がかりにしたのでしょうか。[論理的な散文の発達が遅れ]ていました。ですから論理性を獲得しなくてはなりません。簡単なことではなかったでしょう。

しかし目的から考えてみれば、ある程度方向は決まります。簡潔で的確な表現をするための仕組みを導入するということです。そのためには言葉と言葉の関係を示すことが必要になります。こうすれば論理的な構造をつくりあげることができるということになります。

そのために英語において論理的な構造を基礎づけているものを学ぶ必要がありました。前回(第4回)の最後で記したように、英語の場合、主要要素である「S・V・O・C」を押えること、そのとき品詞、語順についての理解が不可欠です。

古田直肇は『英文法は役に立つ!』で、[標準英語(staldard English)」を使うために必要な英文法の核心は、じつは意外なほど限られている](p.11)と指摘した上で、以下のように記しました。

▼品詞と文型こそが、まさに伝統文法の精髄です。品詞は言葉の種類分けであり、文型は文のパターンの分類です。適切な名詞を主語として使い、動詞を続ける。そして、その後は、使った動詞と表したい出来事の種類に応じて、文型を使い分ける。じつは、これだけできれば、英語によるコミュニケーションができてしまうのです。(p.71)

言葉と言葉の関係を示すこと、論理的な構造をつくりあげるために、英語では、(1)品詞を理解し、(2)主要要素である「S・V・O・C」のパターンを理解することが必要だということになります。

しかし日本語の構造が英語と大きく異なるため、英語のエッセンスをそのまま導入することには無理がありました。漢文を読むときに使った訓読のように特別な方法もありません。こうした状況のなかで概念を十分に詰めることなしに、日本語でも主語や述語といった用語を導入しました。当然のように、これらは有効に使われていません。

     

      

[3] 日本語の変容をもたらした英文の直訳

こうした事情があったにもかかわらず、日本語は論理的な散文を形成してきています。おおぜいの人が参加する媒体が増えていくたびに、共通認識が拡大していったのだろうと思います。狭い領域で書き方や読み方を共有していても、それはなかなか広がりません。ある程度広い領域で、よりよい書き方、読み方であると認識されたならば、それらが取り入れられていくことになります。

渡部昇一は『レトリックの時代』の「日本語の変容をもたらしたもの」で、英語の直訳が日本語を変容させたとしています。

▼学校の英語で「直訳」し、入試英語で「直訳」して、意味は何とか通ずるが奇妙な日本語を「書く」ことによって、日本のインテリは最も集中的な日本語作文の訓練をしたのであった。そうして育ったインテリの日本語が、現代の日本の「標準的書き言葉」を形成しているのである。 『レトリックの時代』:講談社学術文庫 p.243

日本語の文法で使われる主語・述語の概念はあいまいなままでした。しかしそれでも、こうした用語が残り、なんとか大雑把な概念を共有できるのは、学校英語によってであるということです。渡部は以下のように記していました。

▼英語には主語があり、動詞があり、補語あるいは目的語がある。とにかく英文法をやれば、上手下手は別として、英作文ができるぐらいに論理的な構造をもっているという実感があった。これに反して、日本語の書き方を国文法で教えるわけにはいかないだろう、というのが一般的な感じ方であったと思う。  p.240

これは漢文を訓読によって直訳して、そこから日本語を形成したのと、同じ作用があったということです。渡部の場合、この点を別の観点から指摘していました。

▼中世ラテン語の特質を解明した碩学フリードリッヒ・パウルゼンの言葉を私に思い出させる。彼はローマの学問がギリシアの哲学を吸収しようとして1000年近く努力した結果、古典ラテン語は中世ラテン語に変容したという。つまり、「ギリシア哲学をくぐったラテン語」が中世ラテン語なのであり、それによってのみ、スコトゥスやアクイナスの精密な哲学が可能になり、かつ、深い心情を表現する宗教史も可能になったという説なのである。 『レトリックの時代』:講談社学術文庫 pp..244~245

     

     

[4] 翻訳の文章に見る日本語の変容

日本の場合、翻訳文化と言われるくらい、たくさんの翻訳書が出版されました。翻訳された日本語だけを読んで、原文がわかったということになるかどうか。こうした点が問われます。

かつて谷崎潤一郎は『文章読本』で[独逸の哲学書を日本語の訳で読んだことがありますが、多くの場合、問題が少し込み入ってくると、わからなくなるのが常でありました]と言い、そのわからなさは[日本語の構造の不備に原因していることが明らかであります]と記していました(中央公論版『文章読本』 p.58)。

谷崎の『文章読本』は1932(昭和9)年の出版です。その時点では翻訳された日本語に問題があったのでしょう。ところがその後になると事情が変わったようです。渡部昇一が『レトリックの時代』の「日本語の変容をもたらしたもの」を書いたのは『現代英語教育』1976年1月号でした。そこには、こんなふうに記されています。

▼最近『ヴィトゲンシュタイン全集』が出たが、そのうちのある巻のごときは、原文よりもよくわかる。これは昔はほとんど考えられなかった現象であった。谷崎潤一郎も『文章読本』の中で、翻訳書をわかりにくさを指摘し、そういう場合は原文を見ると分かると言っている。しかし現在ではそういう訳は少ない。翻訳技術もさることながら、日本語自体が変容をとげたからである。 『レトリックの時代』:講談社学術文庫 p.244

渡部は[明治以降のこうした日本語の変容]を[私は「英文法をくぐってきた日本語」と呼ぶ](p.244)と記しています。漢文の訓読の方法に代わる方法として、英語では[直訳的英文和訳技術](p.246)を使ったということです。これが入試によって鍛えられたと評価しています。

受験英語で使われていたものは、5文型を中心とした学校文法でした。英語の文法構造を日本語にどう表現したらよいのか、その格闘によって日本語が変容してきたということになります。

岡田英弘が記していた[英語を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確立することになった]というのは、以上の経緯にあたると思います。前回、5文型を補助線にした理由も、ここにあります。こうした事情を確認したうえで、日本語だけでなく、「日本語文法」も開発していくべきでしょう。こうした事情を確認したうえで、日本語の文法を開発していくべきでしょう。