■日本語文法で不可欠なこと:要素と構造と機能

     

1 日本語文法の連載について

日本語の文法の連載を続けています。研修講座が続いていましたから、時間がなかなか取れませんでした。また少ししたら続きを書けると思います。ただ、とびとびのものですから、きっと読みにくいはずです。実際、備忘録のように書いています。

こうやって書いておかないと、その時々で考えたことが忘れてしまうと思いました。もう何年も前に考えたことを、新たに思いついたような気になったことも何度かありました。そろそろ書いておかないといけないと、まとまりをあまり考えずに書き進めています。

とはいえ30回になりますから、そろそろ中仕切りを書いておきたいと思っていたのです。ちょうどそんな風に思っていたときに、ありがたいことに、大雑把でいいから概略を書いてほしいとのお声が届きました。どんな発想で書いているのが簡単に書いておきます。

       

2 文法が確立していない現代日本語

現代の日本語には、まだ確立した文法がありません。欧米の主要言語に較べて、その点はまだ遅れています。文構造が違いますから、そう簡単にいかないでしょう。日本語の場合、英語の主語と述語動詞を中核にした構造とはずいぶん違うのは、ご存知の通りです。

日本語の文法を考えるとき、日本語のセンテンスの意味を文末で確定していることを無視するわけにはいきません。この部分を日本語の文法学界では述語と呼んでいますが、この文末部分を分解して、ヴォイス・アスペクト・テンス・ムードなどの名前がつきました。

欧米語にあるものが、日本語にもあって欲しいということでしょう。しかし無理なことをしているというしかありません。これは品詞分類の発想とも共通することです。日本語を母語とする人間が日本語を読み書きするときの発想と違ったものだと感じます。

主語概念をあれこれ言おうが、主題概念をあれこれ言おうが、定義が確立していませんから、意味がないのです。現代の日本語で記述するときに使われる文が、どういう基準で構成要素を決め、何によって構造を作っているのかを、もう一度考える必要があります。

      

3 「行為主体+行為」「対象となる主体+状態」

一般用語で考えてみましょう。何かの行為があったとします。その行為主体があるはずです。「行為主体+行為」という構造がないと、文の意味は明確になりません。ある状態を伝えようとします。その場合も、その状態にあるものの主体が必要不可欠です。

記述することによって、伝えたいことが伝わるようにするには、記述する者が意図する「行為主体+行為」や「対象となる主体+状態」が伝わらなくてはなりません。文脈から主体がわかるのであれば、記述は不要です。正確に伝わるかどうかが問題になります。

何かの行為があったり、ある状態が文末で示されたならば、その対象となる主体が何であるのか、わかるのが適切な文と言えるでしょう。文の終わりに置かれた言葉と、その主体がわかることが不可欠です。主体がわかるなら、記述の有無は問題にはなりません。

       

4 読み書きに役立つ日本語文法

日本語の構造を考えるときに、「主体+文末」を基礎に置くしかないのです。両者が対応関係を作っているのは、あえて言うまでもありません。このとき英語で言うところの自動詞と他動詞という概念と類似したことが問題になります。これは例文で見てみましょう。

「私は寝てしまった」ならば、行為主体は「私」ですし、行為は「寝てしまった」になります。「私は本を買った」の場合、行為主体は「私」、行為は「買った」です。このとき「本を」という要素をどう扱うかが問われます。主体ではない不可欠な要素です。

日本語の文の構造上、主体とは別の必要不可欠な要素を主体と同類に分類するのは、読み書きの発想とは違います。「私は学校に行った」の「学校に」も、主体ではない不可欠な要素ですから、これらをまとめて独立した要素とすべきだということなのです。

では、この独立した要素に日本語の文法は適切な名前をつけたでしょうか。いいえ! 主体もきちんと扱えていないのです。まだ日本語の文法は確立していません。読み書きをするのに役立つ文法が必要だということです。それをまとめてみたいと思っています。

      

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