■現代の文章:日本語文法講義 概要その1 第28回「センテンスの中核となる要素」

*連載28回目はこちら

     

1 三上章『現代語法序説』の「主格、主題、主語」

前回、渡部昇一が、主語と主題について、両者を区別しない言い方をしていたことを紹介しました。ここでのポイントは、主語とか主題とかを定義することよりも、対応する相手方が問題なのだということです。対応する相手方を無視しては意味がありません。

主語であろうと主題であろうと、両者の概念だけを取り出す場合、厳密で客観的な定義などできないということです。個別の定義よりも、対応する相手を問題にして、その対応相手の概念を明示してもらいたいということになります。そうでないと意味がありません。

三上章の『現代語法序説』を見ると、第二章が「主格、主題、主語」となっています。この本は1953年の出版ですから、ずいぶん昔の本です。しかし、いまでも参照されることがよくあります。第二章の冒頭「一.用語の区別」で、以下のように記していました。

▼用語の問題だから、少しでも混乱を少くするために、はじめに横文字を添えて示す。
主格-nominative case
主題-theme(一般用語)
主語-subject(文法線用語とする)
『現代語法序説』 p.73

      

2 「subjectの語義はまさしく主題」

なかなか面白い並びです。主格というのは[動詞に対する論理的諸関係を表す諸格中の第一格で][だいたいは国際的に通ずる概念]だとのこと。つまり文法用語だということになります。一方、主題は「一般用語」とありますから、文法用語ではありません。

しかし[主題も言語心理に普遍的な概念といってよかろう]とのこと。[しかし主語はそうではない](以上、p.73)とのことです。ここから先は、三上流の主語の定義が語られています。それは「国際的に通ずる」とか「普遍的な概念」ではありません。

ポイントになるのは、三上自身が[subjectの語義はまさしく主題なのである](p.76)と記している点です。渡部昇一が対談や一般向けの文章では、主語と主題をあまり厳格に分けずに使っていたのも、そんなところがあるからでしょう。

ただし三上の場合、考え方がここから大きく違ってくるのです。[主題は、しかし日本文法では初めから重要な役割をする文法概念である](p.88)と記しています。「一般用語」で「言語心理に普遍的な概念」である主題が、日本語では文法概念になるようです。

     

3 普遍的ではない、個人的な意見

さらに三上は[主題+解説は言語心理に普遍的な概念]だと書いていました(p.97)。ところが「花が咲いた」という文の場合、[言語学者小林秀夫氏によれば、やはり「花ガ」は主題で「咲イタ」は解説だそうである](p.96)。しかし納得してはいません。

[この際私は、西洋文法的博識よりも松下文法式論理の方に組せざるを得ない](p.96)と三上は言うのです。つまり[主題は別系統の「ハ」の受持だから、たんなる「ガ」は主題ではなく無題である](p.93)と書いていたのは、三上の意見でしかないということです。

では三上は主題の相手として、解説を選んだのでしょうか。主語を否定していますが、述語は否定していません。三上が考える日本語の基本構造と各要素はどうなるのでしょうか。『現代語法序説』では、このあたりが明らかではありません。

以前(連載第19回)触れた庵功雄『新しい日本語学入門』でも、[三上は「主語」や「主述関係」に代えてどのような概念を用いたのでしょうか。その概念は主題です。主題というのは、その文で述べたい内容の範囲を定めたものです](p.87)とあるのみです。

     

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