■『私の読書法』(岩波新書)再読:清水幾太郎と田中美知太郎の読書法

      

1 清水幾太郎と田中美知太郎の読書法

もうずいぶん古い本ですが、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。『私の読書法』という岩波新書の本があります。読書についての本として定番になっていたことがありました。1960年出版の本です。古本屋で偶然見つけて、懐かしさから手が出ました。

20人の著名人が、読書について10ページほどで記しています。60年以上前の本ですから、いまとなっては、もうどうでもいい内容になっていてもおかしくありません。まだ日本は先進国にもなっていない時代です。当然、パソコンもない時代でした。

楽しみの読書についてならば、人それぞれですから、他人の読み方など気にする必要はありません。やはり勉強のための読書が気になりました。この本で、いまでも読むべきものは、清水幾太郎のものと、田中美知太郎のものだけといってよいと思います。

      

2 本に書き込む方法

清水幾太郎は「主観主義的読書法」という題名で書きました。はじめは社会学の関係の本について、小型の原著となるようなノートを作っていたようです。しかしこれを作ったからと言って理解が進んだわけでもないとのこと。それでやめたとなりました。

ルーズリーフは短命に終わり、カードも短命に終わります。うまく使いこなせないのです。結局、本に書き込むようになったのでした。書物が同時にノートの役割を果たすことになります。したがって、新たに読むときには、もう一度本を買うのです。

清水は本に、何を書き込んだのでしょうか。(1)文章のブロックごとに見出しを記し、(2)関連する内容のページや他の文献について記録しておく、(3)感想、自分の連想を書き、(4)自分が書こうとする論文の粗筋までも綴ったのでした。

(1)(2)はカード、(3)(4)はノートに書くような内容です。いまでは大きめのポストイットもありますし、本に印をつけたうえで、あれこれ書いたものを貼っておくこともできます。基本書なら、このやり方がよいかもしれません。すぐにまねできる方法でしょう。

     

3 自分の問題を解くことになる本

田中美知太郎の文章の題名は「ノートをとる場合と配合を求める時」でした。勉強のためにする読書の話です。そのときノートをとることが多いとのこと。ただし、読み放しに出来ないと思う本の場合のみです。ノートまで作る本は少数にならざるを得ません。

田中は、自分が興味深いと思う本ならば、ノートを取ることが、自分の問題を解くことにもなると考えて、ノートを取って読むのです。さらに中核に当たるギリシャ古典の本の場合、気づいたことは些末なことであってもノートしておくとのことでした。

田中は「配合を求める」という言い方をしています。自分の専門領域とは違う分野の読書を取り入れるということです。こうした違った分野の読書が、思わぬところで役立った経験をしたのでした。ときには違う分野の本を読むことが、本業に役立ちます。

田中の言う通り、ノートを作ってまで読む本は、少数にならざるを得ません。ちょっと面白いなあという程度ならば、印をつけるだけで終わります。書きこむだけの興味をかきたてる本、自分の問題を解くことになる本を見つけることが大切だと思いました。

     

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