■徹底的に理解すること:我妻栄『民法案内 1私法の道しるべ』から

     

1 我妻栄「私の試験勉強」

多くの分野で、定番といってよい基本書というものがあります。一冊ではないかもしれませんが、読むべき本があるはずです。憲法ならば、現在でも芦部信喜の本なのかもしれません。この本と伊藤正巳の本があれば、一通りのことがわかる気がします。

しかし読むのはそんなに簡単ではありません。どうしたものかと思います。それで思い出して、我妻栄の『民法案内 1私法の道しるべ』を引っ張り出してきました。本の山が崩れて、少し前に見つかっていたのは幸いなことです。勉強法について書かれています。

法律の専門家でなくても、第1章の「私法の学び方」と最後に置かれた[附録]「私の試験勉強」は読むべき価値のあるものです。また読んでみました。反省するしかありません。我妻栄は民法の学者として、圧倒的な存在でした。やることはやってきています。

       

2 学者になってからの勉強

「私法の学び方」で、定義についての解説がなされていますので、改めて定義について考えることになりました。こちらは、もう一度読み直して、見るつもりです。どうやって読み直すか、これが問題になります。「私の試験勉強」に読み方が書かれているのです。

我妻は自分の勉強のやり方について、[徹底的に理解することである]と書いています。これは試験勉強というよりも、我妻の勉強法です。[現在、外国の本を読んで論文をつくるときにも、大体こういうやり方をする](p.238)と言い、以下のように記しています。

▼主要な参考書をまず徹底的に理解する。それから、それを中心にして、関連する他の参考書に手を広げる。その手を広げる広さと深さとは、問題にもより、場合にもよる。しかし、とにかく、狭くとも深くというのが私のモットーである。 p.238 『民法案内 1私法の道しるべ』 (第一版)

たぶんこれが正統派の学者の勉強なのでしょう。少しは見習わないと、なかなか理解が進みません。我妻は何度も「徹底的に理解する」という言い方をしています。そのためには、どうしたのか。学者になってからも、試験勉強の方法を継続しているようです。

     

3 徹底した理解をする方法

我妻は、[私が牧野先生の刑法の教科書を十何回読んだという伝説があるそうだが、非常な間違いである]と記しています。我妻の勉強方法では、[全体を通じて10回も読むようなやり方は決してしない]ということです。繰り返し読む方法を否定しています。

▼わからないところは、二、三頁に、一日も二日も考えることはある。そこをわからすために先生の他の論文を読むこともある。そして、わからないうちは、先に進まない。わかったうえで、サブノートをつくる。そういうやり方で終わりまで一度読めば、あとはサブノートを主にしてせいぜい二度も繰り返せば十分である。 p.238 『民法案内 1私法の道しるべ』

わからないところについて、何日もかけて考えたり、他の論文を読んだりしながら、確実に理解していき、それを積み上げていくということのようです。こうやって全体を読んだうえで、[せいぜい二度も繰り返せば十分]だということですから、徹底しています。

ひとまず最後まで読むこと、わからないところがあっても、読み切ることが大切だという考えもあるはずです。途中で挫折するくらいなら、一度読んでしまったほうがいいということでしょう。我妻の場合、そういう甘さがありません。徹底しています。

    

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