■述語を中心的成分とする根拠 現代の文章:日本語文法講義 第25回から

    

1 文の中心的成分

今回、文法なんてやってられないよという人たちに向けて、講義風に書いてみましょうか。内容を砕いたうえで、くだけた言い方で説明していくと、わかったと言ってくれる人がときどき出てきます。それを期待しましょう。こんな感じです。

皆さんの手元には、テキストがないはずですが、心配ありません。例文が示されていますので、それを記しておきます。「先日、北海道で、A山が激しく噴火した」(p.44)、これが例文です。この文の意味が解らない人はいないでしょう。

益岡隆志先生は、この例文を5つに分けています。「先日/北海道で/A山が/激しく/噴火した」…です。これもわかるでしょう。こういう例文があると、抽象概念も、具体的なあてはめができますから便利です。さっそく問いかけがありました。

この例文を見て、[この文の中心的成分はどれであろうか](p.44)というのです。わかりますか? 「北海道で」も気になりますが「A山が」かもしれませんね…。いやいや、違います。そのすぐあとに[その答えは「噴火した」である]と書いてありますから。

ここはひとまず、「噴火した」でよいことにしましょう。それよりも、どうして「噴火した」が中心的成分になるのか、解説を見ることの方が先です。以下のように書かれています。丁寧に読んでみてください。意味が分かるでしょうか。

▼「噴火した」という成分が与えられれば、「いつ、どこで、何が」といった成分の存在が予測され、文の大まかな枠組みが決定されるからである。この点は、例えば「先日」という成分が与えられても文の枠組みが決定されないという状況と対照的である。 p.44 『言語の科学 5 文法』

「噴火した」と言われれば、「いつ、どこで、何が」という風に頭が働くからということなのでしょう。[文の中心的な成分](p.44)と言われれば、あえて反対する必要はないかもしれませんが、何だかよくわからないなあという感じは残ります。

    

2 述語の概念

ひとまず、その先に行きましょう。益岡先生は、この成分を[述語成分(または、述語 predicate)と呼ぶことにしよう]と書いています。そうなると、述語が中心的成分だということですね。述語が大切なのはたしかでしょう。

例文は「先日、北海道で、A山が激しく噴火した」です。この文の末尾に置かれた「噴火した」が述語であり、文の中心的成分だということでしたね。それでは、例文を少し変形したらどうなるでしょうか。

「先日、北海道で、激しく噴火したのがA山でした」という例文を作ったとしましょう。この例文はどう分ければいいのか…。「先日/北海道で/激しく/噴火したのが/A山でした」かもしれません。そうだとすると、先ほどと同じく5つに分けられます。

たぶん述語は「A山でした」になるはずです。これが中心的成分だということになるでしょう。なぜなら、述語が中心的な成分になるということだったからです。益岡先生は、述語について以下のように書いています。

▼述語成分を品詞の面からみると、「噴火する」や「出会う」のような動詞の述語、「美しい」や「きれいだ」のような形容詞の述語(本章では、形容詞と形容動詞を区別しないで、形容詞として一括する)、「学生だ」、「文法書である」のような名詞の述語(名詞の述語の場合は、名詞の後ろに「だ」、「である」、または「です」という要素が必要である)という3種類に区別される。 p.44 『言語の科学 5 文法』

     

3 述語の文の構造を決める機能

ここから考えてみると、「A山」という名詞の後に「でした」がついて述語になったと考えてよいでしょう。では「A山でした」が中心的成分になる根拠はどうなっているでしょうか。「A山でした」とあっても、「いつ、どこで、何が」という風に頭は働きません。

先ほどの益岡先生の言うことがわからなくなってきます。もう一度読み直してみましょう。[「噴火した」という成分が与えられれば、「いつ、どこで、何が」といった成分の存在が予測され、文の大まかな枠組みが決定される]ということでした。

たしかに「噴火した…」によって、「いつ、どこで、何が」といった成分の存在が予測されます。しかし「噴火したのが」という形ですから、これは述語ではありません。ここでは述語の「A山でした」が、何かを予測していることが大切だということでしょう。

先ほどの説明では、「述語によって文の大枠が決められる」ということがポイントだったと考えるべきでした。述語によって、文の枠組みが決定されるという機能があるから、述語が中心的要素なのだということでしょう。

「A山です」が述語になった場合、その前に来るのは、おそらく「何々なのは…」「何々なのが…」になりそうです。「何々なのが…【A山です】」が来ると予測できます。こういう構造になるはずです。【先日、北海道で、激しく噴火したのが】+【A山でした】。

最初の例文の場合なら、「噴火した」が述語になっていましたから、「いつ、どこで、何が」などが来るだろうと、大枠が予測できます。述語がこうした機能をもつから、中心的成分なのだという風に理解できるでしょう。ひとまず、ここまではわかりました。

     

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