■司馬遼太郎の明治陸軍の一筆書き:価値評価の必要性

     

1 戦術立案の条件

司馬は『司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅』第4巻で、戦術について記しています。[もし戦術というものが精密な計算を第一過程としてしかもそれから離れて成立する芸術的直観力の世界であるとすれば]という言い方で、直観的な戦術の必要要件を示しました。

司馬が示した戦術を立てる者の資質として必要な要件は、(1)精密な計算と、(2)芸術的直観力、ということになります。その結果、戦術が実際的で[その原理ややり方を理解してしまえば凡庸な人間でも一定の効果をあげうるというもの]にならなくてはいけません。

司馬は『坂の上の雲』を書くために、相当苦労しています。[作戦指導という戦争の位置側面ではあったが、もしそのことに関する私の考え方に誤りがあるとすればこの小説の価値は皆無になるという切迫感が私にあった]のです。そして戦術には前提がありました。

      

2 戦術に先だつ戦略

司馬は[満州における陸軍の作戦は、最初から自分でやってみた]というのです。輸送と戦場への展開など、[ひとつひとつの作戦の価値をきめることを自分一人の中で作業してみる]ということをつづけたということでした。これは大変だったでしょう。

当然のことながら、戦術に先だって戦略が問題になります。[戦術的規模より戦略的規模で見るようにしたため、師団以上の高級司令部のうごきや能力を通じて、時間の推移や自体あるいはその軍隊運用の成否を見てゆこうとした]のでした。

司馬は参謀本部編纂の日露戦史全十巻という[膨大な官修戦史がいかに価値うすいものであるか]を実感します。[極端にいえば時間的経過と算術的数量が書かれているだけ]だったからです。それではどうにもなりません。司馬は以下のように、書いています。

▼なぜそこにその兵力を出したか、出したことが良かったか悪かったか、悪かったとすればそれを誰がどういう思考基礎と意図もしくは心理でもってやったか、その悪しき影響はどこへどうひびいたかという価値論については毛ほども書かれていないのである。 p.62 『司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅』第4巻

     

3 価値観抜きの定量化のリスク

戦略と戦術では、概念が大きく違います。司馬はその違いについて、当然分かっていました。[価値観のない歴史などは単なる活字の羅列にすぎず]と記しています。歴史だけでなくて、戦略を発想するときにも、同様だというべきでしょう。価値観が必要です。

[戦略的規模で見るようにした]ならば、リーダーたちの[うごきや能力を通じて]、組織のマネジメントを見ていくことになるでしょう。しかし、資料に価値観の記述がなければ、[日露戦争というものの戦史的本質が少しもわからない]ことになります。

評価が問題なのです。それが価値になります。しかし[なぜこういうばかばかしい官修史書が成立したかと言えば、論功行賞のためであった]のです。[昇進したり勲章をもらうこと]の裏づけにしようとしたら、[いっさい価値論をやめて]ということになります。

価値評価ということができなくては、戦略など立てられません。価値評価をするためには、評価方法を確立させ、評価基準を設定する必要があります。これ自体が簡単ではありません。価値観を抜きにして定量化を進めると、大きく間違うことになります。

     

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