■画家に変った人が多い理由:養老孟司の話を参考に

     

1 時間軸と空間軸のない創造

画家について昨日書いたときに、何かあったはずだと思っていましたが、思いつきました。久石譲『感動をつくれますか?』にあった話です。久石がナビゲーター役を務めるラジオ番組に出演した養老孟司(ヨウロウタケシ)が語ったことを紹介しています。

[そこで「絵を描く人は変わった人が多いけど、それには理由がある」という興味深い話が出た](p.27)ということです。[養老さんいわく、時間軸と空間軸の中で創造されるものは、みな論理的構造を持っている](pp..27-28)とのこと。たしかに絵は違います。

言葉なら「ありがとう」と言葉を連ねて意味を持ち、文章は文脈の連続性のもとに書かれます。音楽でも[音が連ならなくては音楽にならない]し、映画も同様です。[時間の経過のうえで成り立っているものは、論理的構造を持っている](p.28)といえます。

しかし[絵は作品が表現するものが見た瞬間にわかる。瞬時に世界を表現できる力がある。時間の経過を伴わない分、論理的なものより感覚に直に訴える。だから、絵の人は考え方や行動においても、感覚的なものが突出する面が強いらしいのだ](p.28)とのこと。

     

2 瞬間的に全体を感じとる

感覚について考えるときに、私たちは、ある瞬間を切り取ります。時間軸でなく、ある特別な時における、ある種のこころの動きを感覚として捉えていることが多いはずです。時間を消すことによって、心の動きが純化され、感覚として把握されることになります。

文章が途中で切れたり、音楽や映画が途中で止まったりしたら、連続性が途切れます。その後が続いていって、終わるべきところで終わらないと、われわれは落ち着きません。ところが絵は一つの世界です。全体が絵の領域に切り取られて存在します。

絵というモノは、感覚の優れた人の場合、瞬間的に全体を感じとることが可能です。見れば瞬間的に、その人の才能なんてわかると、すぐれた画家たちは平然と言い放ちます。ハズレもあるでしょうが、しかし多くの場合、驚くべき評価の一致が見られるものです。

     

3 論理的な構築の勝負を決める素材の量

経験というモノは、時間軸と空間軸によって規定されます。ある時、ある場所でしか経験はできません。そして私たちは、経験を自分の感覚を創り出す材料にしています。では、問われるのは材料の質なのでしょうか、量なのでしょうか。久石は言います。

▼創造力の源である完成、その土台となっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティ(受容力)を拡げることにつながる。 p.48

量が問われるのです。ただし、これは画家には当てはまりそうにありません。音楽や映画、あるいはモノを書く人が対象となるでしょう。論理的な構築がないといけない分野の場合、素材は多くないと困ります。しかし画家の場合、質が問われるのかもしれません。

絵をやる人で、議論好きの人たちがいるのは、興味深いことです。論理的な話は成立しませんし、それを気にしてもいません。これとは別に、教養人もいます。この種の話はあまり一般化すると、おかしなことになりますが、何だか思い当たる気がしました。

             

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