■現代の文章:日本語文法講義 第19回概要 「文末とセンテンスの要素」

     

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1 誤訳だらけの学術用語

明治期に学術用語が日本に入ってきました。日本語のヤマトコトバでは長ったらしいので漢字で翻訳したことは、ご存知の通りです。すでにある言葉の流用も行われました。その結果、どういうことになったのか。岡田英弘は歴史学の場合について記しています。

▼誤訳だらけになった。漢字・漢語は中国で発達したものだから、それを無視して、あるいは無知の結果、意味内容の違う地中海・西ヨーロッパ世界の歴史の術語にあてはめた。 pp..77-78 『歴史とはなにか』

文法の用語も同様でしょう。主語も述語も翻訳語ですから、もともとの概念と違ったものになります。日本語と欧米語の違いもありますから、そのまま学術用語が通用するはずもありません。したがって、述語の概念が欧米語と違うのは当たり前のことです。

特徴的なことは、主語については欧米語と違うと言いたてながら、述語に対して特別何も言わない点でしょう。S+Vの「V」が「述語」にあたりますから、大きく違います。日本語に即して、概念を構築しなくてはいけないはずでした。しかし主語を問うのです。

      

2 主語・述語廃止論

庵功雄は『新しい日本語学入門』で、三上章をあげて、[三上は日本語の分析において「主語(subject)」及び「主述関係」という概念を廃棄することを主張しました](p.86:2001年) と記します。主語・述語を廃止する場合、どうすればよいのでしょうか。

庵は同じ『新しい日本語学入門』で、[三上は「主語」や「主述関係」に代えてどのような概念を用いたのでしょうか。その概念は主題です。主題というのは、その文で述べたい内容の範囲を定めたものです](p.87)と書いています。主語・述語の両方の廃止です。

三上の場合、日本語の散文が十分に確立する前での主張でしたから、仕方のない面がありました。さらに言えば、欧米語を意識しすぎたのでしょう。当然、西洋にネタがありました。こうした考えは、いまや主流になりつつあります。しかしナンセンスな話です。

     

3 キーワードの成分

言文一致に文末の整備が不可欠でした。文末が確立したため、センテンスが確立し、その結果として、センテンスの骨組みが問われることになったのです。こうなってやっと、言文一致の次の段階に進んだことになります。論理性を問うことになりました。

文末の前に置かれたキーワードの成分が問われます。学校文法では主語を重視し、吉川武時『日本語文法入門』などでは[補語には必須の補語と随意の補語とがある](p.11)とあるように、主語を特別視せずに、補語という括りにしようという考えに立っています。

これまでに出てきた文末の前のキーワードは、主語と、必須補語、随意補語の3つです。どうやら従来からの説明では、不十分だと感じます。次回、これらから検討してみましょう。学校文法とも、学者の日本語文法とも違った考えにならざるを得ないのです。

    

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