■中野雄による秀逸な音楽史の一筆書き:『クラシックCDの名盤 大作曲家篇』

     

1 「下部構造が上部構造を規定する」

『クラシックCDの名盤 大作曲家篇』にある中野雄の「古典派からロマン派へ―そして現代」というコラムは、読ませる内容です。音楽の歴史を一筆書きにしています。中野は丸山眞男の門下生であり、音楽プロデューサーだった人です。

このコラムで中野は、マルクス主義はもはや消滅したが、マルクスの視座は社会を分析するのに役立つと主張しています。その一つが「下部構造が上部構造を規定する」という観点だというのです。下部構造とは、社会の構造や生産様式のことを言います。

中野があげた言葉の意味は、社会の構造が変わると、社会の政治や法律、道徳、哲学などのあり方が変わってくるということです。これが「古典派からロマン派へ」と変わった理由になりました。中野は芸術的な音楽づくりの形式=ルールについて語ります。

     

2 王侯貴族の時代の終焉による影響

形式こそ基本であると中野は記します。形式や[ルールは社会生活の基本である。スポーツはその典型]です。ルールがなければ、スポーツは成立しません。音楽も[定められた形式の中でどれだけの表現が可能かが作曲家の腕の見せどころになる](p.127)のです。

ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェンという[西洋クラシック音楽の系譜は、多少の例外はあるにせよ、“ソナタ形式”というフォルムを基本とする音楽美学の発展過程であった](p.128)のです。そこに[イギリスの産業革命とフランス革命]が起こります。

転機が訪れました。フランス革命で国王支配体制が転覆します。その結果、人民主権の共和制への道が開かれることになりました。イギリスでは産業革命が進行し、[農業主体の経済から工業主体の経済へ]と[社会の下部構造の変革]が起こったのです(p.128)。

[発信する側(音楽家)のスポンサーが富裕な王侯・貴族であり、受信する側(聴き手)もカネとヒマのある王侯・貴族であった時代]が終わりました。それまでは[教養豊かな文化人も数多くい]て、貴族たちは[鑑識眼を教養として身に着けてい]ました(p.129)。

     

3 クラシック音楽終焉の危機

19世紀に入って[観客として新たに登場した富裕な市民階級]が現れます。しかし[全盛期の貴族たちのような理解力と教養の持ち主ではなかった]のです。[貴族の館での夜会が、街の文化人たちの社交界=サロンに席を譲ることにな]りました(p.129)。

その結果、[小品をつなぎ合わせた組曲形式の、わかりやすい音楽がシューマンやショパン、メンデルスゾーン、リストなどによって作られるようにな]ります。[情緒優先の曲想に変った]のです。下部構造の変化により[芸術(上部構造)の変貌]が起こりました。

こうした変化によって[十九世紀がロマン派の時代になるのは、いうなれば歴史的必然であった](p.130)と中野は言います。20世紀になる頃、ラジオ放送が始まりました。[一応「知的エリート」]の聴き手たちの[質が低下するのは理の当然](p.131)でしょう。

[世の音楽愛好家たちは作曲家の新作などに対する鑑賞能力を失った]のです。結果として[1975年8月9日のショスタコーヴィッチの昇天以来、クラシック音楽の世界で「新作」に対する話題が消滅し]ました(p.131)。秀逸な音楽史の一筆書きといえます。

    

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