■現代の文章:日本語文法講義 第18回概要「センテンスの確立と文末概念の採用」

*連載第18回はこちら

     

1 センテンスという単位の確立

前回、今回と駆け足での連載になりました。たまたま別件が重なってしまっています。今回は、最後の部分が長くなるので、カットしました。続きをなるべく早くアップするつもりです。通説と違う話になりますから、いささか面倒な領域ではあります。

文末の確立によって、日本語の文の単位が確立されました。センテンスという単位が意識されるようになって、センテンス内の構造が問われるようになったのです。センテンスの独立ということは、センテンスの意味の完結ということでもあります。

文末の機能として二つがあげられました。一つは、センテンスを終了させる機能。もう一つは、センテンスの意味を確定させる機能です。両者はともに文末の機能ですので、日本語のセンテンスの場合、文が終わるときに、同時に意味が確定することになります。

     

2 述語の機能

述語という概念を使おうとすると、いささか困ったことになります。述語の説明を見ると、中核の言葉を狭い意味の述語としているのか、その言葉の品詞に焦点があてられているのです。動詞、形容詞、名詞という3種類の品詞が述語になります。

そこから文のタイプの基準に、この品詞が使われることになるのです。動詞文、形容詞文、名詞文と呼ばれます。品詞による文のタイプ分けにどんな意味があるのかはわかりません。こんなことよりも大切なことがあるのではないかという気もします。

述語の場合、センテンスの最後の言葉まで含むとは言い切れません。最後に「~だろう」「~かもしれない」「~そうだ」「~べきだ」などのモダニティ(ムード)が接続すると、それれは述語から切り離されるようです。しかしこの部分で意味が変わります。

そうなるとセンテンスを終了させる機能は持てなくなりますし、同時に、センテンスの意味を確定する機能も失ってしまうことになるはずです。述語は、センテンスの終了と同時に、意味が確定する機能を持つ、文末とはかなり違った概念になります。

      

3 品詞ではなく接続の仕方で判別

文末という概念を採用して、日本語の散文のルールを考えていくしかなさそうです。述語という概念は採用できそうにありません。もともと品詞を前面に出して考えることは、日本語にはなじみません。接続する言葉で、その言葉の種類を感じ取るのが自然です。

原沢伊都夫が『日本人のための日本語文法入門』で示した「ティジュカでジョアキンがフェジョンをシキンニョと食べた」は、よくできた例文でした。「ティジュカで:どこで」「ジョアキンが:誰が」「フェジョンを:何を」「シキンニョと:誰と」と分かります。

名詞という品詞ではなく、「誰・何・どこ・いつ」で言葉のグループを認識するのです。そのとき把握するヒントとなるのが「で・が・を・と」などの助詞といえるでしょう。「誰・何・どこ・いつ」と助詞を組合せれば、おおくの言葉の種類が把握できます。

こうした把握の仕方から、文末とキーワードの関係を明確化していこうとしています。日本語の近代化は、現代中国文に大きな影響を与えました。岡田英弘は『歴史とはなにか』で現代中国文は[日本語の文体をそのままなぞったもの](p.196)だと記しています。

      

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