■幻想だった「秩序ある威厳にみちた降伏」:困った知識人の話

      

1 現実が幻想を打ち砕く

ロシアのウクライナ侵略で、多くの人の意識が変わったようです。フィンランドとスウェーデンがNATO加盟を目指すことになりました。おそらくそう遠くないうちに加盟することでしょう。ここでもロシアは大きく間違いを犯したことになります。

専制主義の国のふるまいがどんなものであるか、今回、あらためて現実によって知らしめました。日本でも、若者はかなりはっきり専制主義にノーを言うようになっています。専制主義というよりも、民主主義・自由主義でないことに対しての拒否のようです。

しかしこういう考えが、どこまで広がっているのか、圧倒的な主流の考えになっているかどうか、まだわかりません。こうした考え方の基礎に、大きな認識の違いがあるように思います。『予言者 梅棹忠夫』にあった話を思い出していました。

      

2 司馬遼太郎、梅棹忠夫の放言

『予言者 梅棹忠夫』の著者である東谷暁は梅棹が設立した「民俗学振興会千里事務局東京分室」である「季刊民俗学編集部」に勤務していた人です。この本には、梅棹との[私的な体験]も記されています。こういう場合には「梅棹さん」と表記するとのこと。

ご本人は「プロローグ」で[直接話ができたのは二十数回といったところだろう]、[指導を受けたとか謦咳に接したとか言う気はまったくない]と記しています。「梅棹さん」といった[表記が出てきたときには、私の主観が入った話だ](p.10)と注記しました。

司馬遼太郎が梅棹との対談「日本は“無思想時代”の先兵」で、[戦争を仕掛けられたりしたらどうするか。すぐに降伏すればいいんです]と語り、占領されたらそれに[同化しちゃえばいい]、そうした柔軟な社会をつくるのが私たちの社会の目的だというのです。

梅棹は[目的かどうかはわかりませんけれども…いいビジョンですな](p.233)と答えています。これはそのときの放言ではなかったようです。その後、1979年に森嶋通夫が「新『軍備計画論』」を発表しています。梅棹の場合、その論旨に賛成だったようです。

     

3 「秩序ある威厳にみちた降伏」という幻想

森嶋通夫はソ連が攻めてきたら徹底抗戦せずに[秩序ある威厳にみちた降伏をして、その代わり政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える]と記していました。東谷は梅棹の考えを[1980年に東京の季刊民俗学編集部を訪れたさい]に聞いています。

▼梅棹さんは、
「私は、森嶋と同じやな」
と答えるだけでなく、
「秩序ある威厳にみちた降伏や」
と、森嶋の論文に出てくる言葉を使って自説を語った。 p.234 『予言者 梅棹忠夫』

あえて言うまでもないことですが、侵略を企てる国は専制主義の国です。そんな国に[秩序ある威厳にみちた降伏]をしても[政治的自決権を獲得する]ことなどできません。基礎となる認識が間違っているのです。しかし、こうした考えは最近までありました。

司馬遼太郎にしろ、森嶋通夫にしろ、梅棹忠夫にしろ、いまでも日本を代表する知識人と言われています。そういう人物でも、専門外のことになると、おそろしくおかしな前提に立つことがあるようです。数十年前の話ではありますが、身に染みる感じがします。

     

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