■現代の文章:日本語文法講義 第16回概要「述語という概念の凋落」

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1 「何が何を修飾するか」が文法の中核

小西甚一は『古文の読解』(改訂版1981年)に書いています。[術語というものは、研究を便利にするため存在するはずであって、その逆であってはならない。ところが、いまの文法学では、術語がやたらに使われている](p.198)。いまも同じでしょう。

小西は小見出しに「術語を気にするな」と掲げました。そして[「高校教育の文法では、術語をなるべく少なくし、文法現象そのものを考えさせる」というのが、これからの文法教育](p.198)であるべきだと言うのです。これは高校教育に限りません。

では何を重視すべきでしょうか。[文法でいちばん大切なのは、何が何を修飾するかということだぜ]とのことであり、さらに[文法でいちばん大切でないのが、品詞分解だろうな]ということになります(p.239)。ここでいう修飾はかなり広い意味でしょう。

この項目での一番の中心は「主語は誰だ」という問題です。ここでは、センテンスのキーワードと文末との関係が問われています。こうした文末との関係を大きく「修飾」に含めて考えるなら、小西の言う[何が何を修飾するか]が文法の中核と言ってよいでしょう。

      

2 「述語」の品詞

日本語の文法で「述語」という用語が使われています。伝統的な学校文法の参考書である橋本武の『中学生のやさしい文法』(初版1972年)での説明は、学校で教えられている内容と、そう違いがないだろうと思います。橋本は以下のように説明しました(p.112)。

[1] 日本語の文には基本タイプが三つあり、[これらの文節相互の関係を公式化]すると、「ナニガ-ドウスル」「ナニガ-ドンナダ」「ナニガ-ナンダ」となります。
[2] このうちの[「ドウスル」「ドンナダ」「ナンダ」の部分、つまり、主題に対して述べている部分を「述語」という]のです。

原沢伊都夫の『日本人のための日本語文法入門』では、述語について、[日本語文の述語は3種類しかありません。それは、動詞と形容詞と名詞です。これらの述語を中心に構成される文をそれぞれ、動詞文、形容詞文、名詞文と呼びます](p.13)とあります。

「述語」という用語は「語」という以上、品詞があるのでしょう。しかし品詞が前面に出たことに違いはありますが、これは橋本武の説明とあまり変わらないものだろうと思います。どうやら「述語」という概念は、明確に定義された概念ではないようです。

      

3 使えない述語概念

小西が主張するように、大切なのは言葉の関わり方のほうでしょう。特に文末との関わりが問われます。たとえば「今日、私は市の図書館で恩師の本を見つけた」という例文は、文末との関係がどうなっているでしょうか。以下のように対応関係の有無が生じます。

○「今日 …見つけた」
○「私は …見つけた」
×「市の …見つけた」
○「図書館で …見つけた」
×「恩師の …見つけた」
○「本を …見つけた」

文末と対応しているのがキーワードであり、キーワードの前に置かれた言葉は、キーワードを修飾しています。こうした構造が重要です。文型もそういう観点から考えるべきでしょう。以下の文を別々の構文であるとするのは、読み書きの観点から不自然です。

① 近くの公園にブランコがある。
② 近くの公園にブランコがない。

しかし述語の品詞で区分すると、①は動詞文、②は形容詞文になります。従来の述語の概念は読み書きに役立ちません。結果が読み書きの感覚と違う場合、その文法は使いにくいものでしょう。新たな基準で文型を考えていくしかないということになります。

       

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