■連載13回「日本語散文の開発と翻訳」の概要 現代の文章:日本語文法講義

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1 直感から文法へ

イギリスのシェイクスピアは1564年に生まれ、1616年に亡くなりました。この時代になって、英語に対する劣等感が消え、自信が生まれて来たことを、渡部昇一は『英語の歴史』に記しています。フランス語などよりも遅れているという意識が消えていったのです。
 
この時代において[作家を規制する文法規範は、文法書にある規則でなくて直感であった]ため、いまから見れば[破格だらけ](p.252)ということになります。それがシェイクスピアの後から変わってきました。『英文法を知ってますか』に渡部が記しています。

▼シェイクスピアより約十歳ほど若いジョンソンの頃になると、世の中が一般的に古典主義に傾いてきて-古典主義というものには規則重視の要素がある-英語にも規則を求める風潮、つまり英文法を意識する風潮が出てきた p.156 『英文法を知ってますか』

文法を意識するのは、言葉が豊かになったあとに起こることのようです。日本語でも同じように、まず用語の翻訳をすすめました。それがあるときに散文表現と結びつくことになります。日本語でも飛び抜けた文章家があらわれました。それが夏目漱石です。

     

2 名詞構文と動詞構文

加賀野井秀一は『日本語は進化する』で、夏目漱石の『吾輩は猫である』の文章をチェックして、翻訳の影響を例示しています。たとえば日本語が動詞構文を中心とするのに対し、西洋流の名詞構文的な表現があらわれていると、以下のように記しました。

▼これまで「なんだか春めいてきたなあ」という動詞を中心にした癒合的な表現をしていた日本語は、Spring has come のような西洋的思考法の影響で、「(うららかな)春が来た」というぐあいに名詞構文を多用するようになり、対象化された「春」には「うららかな」などの形容詞が付加されるようになってくるのである。 p.69 『日本語は進化する』

これを見れば、名詞構文では対象となるものを明確にした上で、それがどうしたのかを記述する形式だというのがわかります。したがって名詞構文というのは、センテンスの中心的な対象が「誰・何・どこ・いつ」なのかを明確にする形式といえます。

この点、動詞構文はそこが明確ではありません。日本語にいわゆる主語があまり使われなかったのも、センテンスを作る発想が違ったからでした。近代的な散文を作った夏目漱石も、英語の構造を参考に日本語の文章を開発していったということになりそうです。

     

3 日本語が目指した2つの方向

『日本語の歴史6』には、日本語の形成に翻訳の果たした役割を大きく見る視点があります。最初、日本における翻訳は直訳文でなされたのでした。その訳文が日本語として定着していきましたから、日本語の文章には翻訳の痕跡が残っています。

しかし[在来の日本語の形式・用法を変えることなく及んでくる影響]のほうが、影響の確認は困難ではあるけれども[大きいスケールのもの]でしょう。つまり[欧文構造が日本語に与えた影響は、主としてより論理的な表現の方法](pp..187-188)だといえます。

もう一つ大切なのは言文一致でした。これこそ[日本語がヨーロッパからうけた影響の最大の恩恵](p.188)でしょう。つまり内容からいえば論理的な思考、形式からいえば言文一致の文体を目指したということです。これが日本語の目指すべき方向でもありました。

    

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