■本やメモの整理について:ふたたび崩れた本棚を見ながらの反省

      

1 地震で崩れた本棚

大きな地震が3月16日の深夜に起きました。以前壊れた本棚を昨年、仮止めしたままにしていましたから、再び本棚が崩れて本が散乱しています。重ねておいた必要な本の上に、大量の本が積み重なっています。必要な本の正確な引用が出来なくなりました。

テキストの締切が早くなりそうなので、その前にと思って、連載を書き始めていたのです。まさかこういう理由で中断になるとは思いもよりませんでした。本の片づけをするしかなさそうです。しかし同じことを昨年もやっています。何をやっているのでしょう。

本をどう整理するのか、思いつきを書いた紙類をどうすべきか、いまだに明確な仕組みになっていません。とくに本をどう整理するかということが悩みの種です。必要な本は複数購入し、その都度、読んでいました。同じ本を何度も買うことが多かったのです。

無駄なことですが、別の読み方をすることが多いので、抵抗感なく行ってきました。しかし本の量が増えてくると、この方式は好ましくありません。目的の本がすぐに出てこなくなります。さらに書き込みの方式を変えてから、書き込み自体に価値が出てきました。

      

2 必要な本を積み上げる方式

あるテーマに関する勉強を始めたら、本棚をそのテーマの本で埋めて、それら以外を処分してしまうというのも一つの方法なのかもしれません。これは余裕のある人のやることでしょう。ピーター・ドラッカーがこういう方法をとっていたと、聞いたことがあります。

私の場合、必要な本をピックアップして段ボールに入れておいて、その中から必要な本を机のわきに積んでおくのです。それらをそのときどきで手に取る方法をとっていました。必要がなくなったら、サヨナラになるのですが、とはいえ簡単に本は捨てられません。

今回、ピックアップした本が埋まりました。散乱した本を見ながら、またやってしまったと反省して、今後の対策を考えているところです。内容をカードにとるよりも、本を手元におけばいいという考えでしたから、本の書き込みがカードになりかけています。

      

3 考えをまとめる仕組みの欠如

ここ数年、以前読んでよかったと思う本が貴重になっています。時を経て評価が変わるのも興味深いですし、良い本のままならば、それは自分にとっての名著です。それらを自分のライブラリーとしてまとめておくべきでした。今後少しずつやるしかなさそうです。

メモやノート類は、書いたこと自体に意味があるという状況でした。書いてみると考えが整理されますから、そうしておくことだけでも意味はあるでしょう。しかし梅棹忠夫などは、思いついたことをカードに整理して、必要に応じて取り出して活用していました。

そのような「知的生産の技術」が必要なのだろうと思います。梅棹流のものは、とても好みに合いませんが、自分にもまれに出てくるいいアイデアを、もっと活用したほうがよいに違いありません。そろそろ思いつきの整理を標準化する必要があると思いました。

今回、身にしみて感じるのは、ほとんど記憶に頼っていたということです。カードを作らない、思いつきは書きっぱなし、本も引用するときに参照する方式でした。自然に考えがまとまる感じはしますが、もっとよい仕組みを構築すべきであったと反省しています。

     

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