■時代・時間感覚の違い、発想・評価基準の変化について

    

1 時代の感覚的把握

若者と話をしていると、時代の変化を感じることがあります。バブル崩壊以降、日本経済は低成長でしたから、日本の高度成長がイメージできない人がいるのは仕方ありません。戦後日本の高度成長について、習ったかもしれないという反応が何度かありました。

しかし最近になって、高度成長後の変化も大きかったなあと、感じることが続いています。例えば、日本トップ企業のトヨタ自動車が北米に進出した時期を聞いてみると、リーダーの人でも、明治時代ですかと答える人が出てきています。リーダーの若返りです。

何人かの方に聞いてみましたが、答えを聞くと、たいてい驚きます。1986年です。およそ35年前になります。それでも、最近ですねという反応です。それまでは日本人が自動車を作って輸出していたのが、いまはアメリカで作っています。たしかに大きな変化でした。

     

2 誰の感じ方か

ソ連がロシアになり、その後、チャイナ経済が成長し、GDPでロシアを圧倒しています。かつてソ連・ロシアが兄の存在であったことが意外の感をもって受け取られることもあります。冷戦の片側の主役がソ連だったのも、切実な感覚はわからないようです。

前回の小室直樹の分析も、通じない人がいたことでしょう。[アフガン侵攻は、侵略主義のあらわれてはなくて、ソ連の致命的弱点をかばうための、やむにやまれぬ自衛戦争である][ソ連を守るための自衛戦争なのである]。意味はわかるでしょうか。

ソ連自身の意識では自衛戦争だということです。他国から見れば、アフガン侵攻も、今回のウクライナ侵攻も侵略戦争でしょう。それを前提にしながら小室は、ソ連は強いどころか弱い存在であって、「やむにやまれぬ自衛戦争」という意識なのだと指摘したのです。

ロシアにある過剰防衛意識は、ナポレオンやヒットラーの侵攻をうけた歴史的な影響があるはずです。しかし、そうした経緯があったとしても、20世紀後半からは、その主張は通用しません。それで「ロシアの弱体化ということになるのでしょう」と書きました。

     

3 時代の変化、発想の変化

いま講義の準備や、研修テキストの作成や、あるいは研修そのものの企画が続いています。頭の中だけで考えるのでは、よくわからないことがあるので、少数の人たちと勉強会をしてみたり、あるテーマに関してのやりとりを続けたりしてきました。

年齢層が広がると、時代の感覚、時間の感覚についての違いも出てきています。そのことは同時に、事象についての評価基準の変化をも伴うことになるのです。こうした点を、もっと意識的に確認をしなくてはならないなあと、思うようになってきました。

たとえば日本語は古くからある言葉です。しかし幕末の開国以降、ずいぶん違ったものになりました。戦後も変化し続けています。20世紀末に日本企業が海外進出を始めるころから、日本語を基礎にした発信の機会が圧倒的に増えてきた点に注目すべきでしょう。

翻訳という場合、日本語への翻訳が圧倒的でしたが、海外への発信が拡大して日本語を英語なり外国語に翻訳することも想定されるようになってきました。これは日本語を書くときの発想にも影響を与えます。そんなに昔の話ではありません。あえて言えば最近です。

    

カテゴリー: 一般教養 パーマリンク