■漢字よりもひらがなを大切にすべきだという理由

     

1 目と芽、鼻と花

目と芽、鼻と花のように、顔の部位の名前が植物と関係があるのだろうかと感じることがあります。これは多くの方が気づいていることでしょう。語源ですから明確にはわからないというのが正確なのかもしれません。しかし偶然なのでしょうか。

中西進の『ひらがなでよめばわかる日本語』を手に取ったときに、第一章が「体のパーツ、なぜこうよぶの?」とあったので、読み始めることになりました。中西の場合、「目、鼻、耳、歯、頬、額」をあげています。耳は「実実」だというのです。

▼顔の中になぜか、植物の成長過程あるいは部分の名前が入っている。これは面白い偶然の一致だと思ってきたのですが、どうも偶然ではなく、根拠のあることだと思うようになりました。 p.16-17 新潮文庫

語源が明確になっているわけではありませんので、中西の場合も「思うようになりました」というにすぎません。したがって、証明されたわけではないのです。結論はひとまずおいて、「偶然ではなく、根拠のあることだと思う」理由づけに興味がありました。

      

2 認識のプロセス

中西は、感覚器官としての役割の違いから、目と耳の違いを示します。視覚と聴覚の機能的な違いに注目するのです。視覚と聴覚の両者が関連しているということになります。[目はものを認識する器官ですね。そして耳は情報を受容する器官です]。

認識のプロセスを考えてみると、[私たちは、まず目で見ることからものを認識します]ということになります。したがって[目で見ることは最も基本の動作]だということです。さらに進んでいえば、[目が認識の基本]ということになります。

一方、耳の場合、[耳で受容することによって、認識のプロセスが完結する]。つまり[耳が認識の完了であること]ということです。[「きく」が「聞く」と同時に「利く」であることからも、耳の重要性が知られるでしょう]と中西は確認しています。

     

3 どう発音するのかを考える

中西の認識プロセスに合わせた器官の配置は、[まず芽(目)があって、花(鼻)が咲く。そして、末端の「は」、つまり「端」に葉(歯)が出て、成熟した存在である実(耳)で完結する]ということになるようです。では「はな」はどうなるでしょうか。

▼花というのは、顔の真ん中に突き出ていて、呼吸をつかさどる重要な期間です。人間は呼吸することで生きているわけですから、鼻は、生命活動の中では最も優先的な、命の根源、いわば「トップ」の存在です。 (p.18)

「はな」という言葉は「はなからバカにして」「しょっぱな」「はなお」などのように、[突端のこと]を表すのかもしれません。それだから[植物の枝先に咲くのも「はな(花)」]ということになります。論証はできていませんが、わからなくはありません。

中西は言います。[私たちはつい、どういう漢字を書くのかを気にしがちです]。しかし漢字は発音に合わせてあてがったものですから「鼻」「花」「端」と書き分けます。しかし[どう発音するのかを考えることが大切]です。この点、その通りだと思いました。

     

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