■連載を再開しました:現代の文章:日本語文法講義

         

1 連載1回目のふりかえり

連載がやっと再開になりました。4回目です。気楽に書くことにしましたから、文章自体はもう数日前にできていましたが、少し長すぎたかなということと、掲載の仕方をどうするか問題でした。少し寝かせておいて考えてみました。一番シンプルに行きます。

連載が途切れたのが8月13日、2回目のワクチン接種の日でした。以来4カ月以上も間があります。もはや前の時のように書く気になりません。内容は自分の考えることですから、そう変りませんが、スタイルが気に入らないのです。少しふりかえってみます。

第1回では、小学校の低学年で主語だの述語だのというものを習うのですが、その後、特別な文法教育を受けてないということを指摘しました。小学生むけの説明でとどまっていては、利用しようとしても、きちんとした使いかたなどできるはずありません。

まずいことに、日本語の文法書には共通の指針がないのです。そのためなのか基本書になる本もありません。結局、文法と無縁に文章を読み書きすることになります。文法書の代わりの指針が『文章読本』でした。これがとんでもない代物だと指摘しました。

     

2 日本語文法の基本書

谷崎潤一郎の『文章読本』は定番のものです。いまのビジネスで必要となる文章を対象外においています。したがってビジネス人がこの本を素直に読んでも、役に立つことはありません。昭和9年の本ですから仕方ないのです。時代の問題があります。

日本語によって簡潔で的確な記述が出来るようになったのは、1980年代になってからかもしれません。そんなに昔のことではないだろうと思います。したがって1980年代以降に書かれた文法書でないと、基本書にはなりにくいはずです。候補はかなり絞られます。

最有力候補は北原保雄『日本語の世界6 日本語文法』です。この本を『スタンダード英語講座[2] 日本文の翻訳』の安西徹雄が[参考になる][役に立つ]と書いています。この本を通読することで、ある程度、日本語の文法の状況が見えてくるかもしれません。

     

3 「正しさ」と「通用していること」

すでに北原保雄『日本語の世界6 日本語文法』は読み終えています。いくつかの点で興味のある記述がありました。第3回の連載で、北原の本の内容について少し書き始めています。北原はこの本で、規範文法と記述文法の2つの文法類型を提示していました。

北原は、規範というのは変わりうるものだから、正しさを基準にすべきではないと主張します。通用しているかどうかを基準にすべきだということのようです。しかし通用しているかどうかも、あいまいな基準でしょう。北原の主張には無理があると思いました。

それでは英語における文法はどうなっているのか、そのあたりを連載3回目の最後で、探ろうとしています。実はここに続けて書いてもよかったのですが、一息入れたくなって、少し違った再スタートになりました。またここにも、いつか戻ってくるはずです。

連載4回目はこちらです。

      

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